9.12.2016

[film] La vida útil (2010)

8月11日の昼、新宿でみました。 63分、モノクロ、スタンダードのウルグアイ映画。
『映画よ、さようなら』。 英語題は"A Useful Life"。

モンテビデオのシネマテークに勤務するホルヘはごくごく普通に真面目に映画の仕事を25年間こなしてきて、特にでっかい野望も展望もなかったし、恨みを買うことも買われることもなかったし、映画の世界に生きるものとしてキュレーションも椅子の修理もラジオ番組もチケットもぎりも常連客とのやりとりもノーマルにやってきて、不足も問題もない、と自分では思ってきた。

が、突然家賃滞納と財政難でシネマテークをクローズする、と言われる。
館長もふくめて全員、ということのようなので有無を言わせずで、どうあがいてもしょうもなさそうで、映画のなかでは多少ぶつぶつ言うものの、激しく怒ったり泣いたり叫んだりすることなく、淡々とそれに従って閉店後に店から追われるように職場を去るホルヘの姿が描かれる。

ここまでが前半で、後半は自由になった(まるで釈放されたかのような)ホルヘ - 頭の奥では勇ましい音楽が鳴ってる - が意を決してシネマテークのお客さんで気になっていた大学の先生を食事を誘って、床屋にいってきれいさっぱりして、デートして映画でも見ようかー、になるの。

この後半の展開がなかなかスリリングですばらしくて、やけくそになったホルヘがテロとか自決でもするんじゃないか、くらいに思わせて、たぶんホルヘの頭のなかでは当然のようにそういうシナリオも湧いていたはずなのだが、そうじゃない方に向かう。 そうさせたのは、たぶん彼が25年間漬かっていた映画の世界があったからだよね、と。

彼が図書館や美術館の職員だったら、ふつうの会社の人だったら(彼らがリストラで職場を追い出されたら)、こんなふうなドラマになりえただろうか?
25年間シネマテークに勤務したホルヘの傍でずっと回り続けていたフィルムリールがまるめこんでおとしこんだなにか、があったからだよね、とか思うし、だからこその"A Useful Life"なんだわ、とか思うし。 もちろんそんなのただの過剰な思い込みにすぎないのだけど、それでもなんかいいじゃん、と思わせる軽さがあるのだった。

自分も会社クビになったら、あんなふうに爽やかに誰かをデートに誘うことができるかどうか、そいつも試されているのだと思った。

でも、そもそも映画館て潰しちゃいけないもんよねえ。
恵比寿でやっている杉本博司の展示にもあったけど、映画館がなくなる、その灯がおちる、ていうのは、そこで流されたフィルムの長さとか、そこであてられた光の総量とか、それが照らしだした魂のでっかさとか考えたら、それらと同等の闇を引き受けるってことで、それはそれはおっかないことだわよ。

それに南米のシネマテークって、2008年だかにアルゼンチンでMetropolisの16mmが見つかったりしるしぜったいまだなんか出てくると思うし。 

ホルヘ役のひとはウルグアイ映画批評家協会の元副会長、ていうのは冗談みたいにおもしろいねえ。

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