9.11.2016

[film] Beyond Clueless (2014)

8月11日、木曜日(やまのひ?)の午後、新宿のカリコレでみました。
トークがついていたけど、途中で出ちゃった。

“Clueless” (1995)から”Mean Girls” (2004)まで、200本以上のティーン映画の断片をゴダールの“Histoire(s) du cinéma” (1988-1998)よろしくチャプター毎に繋いで繋いで語って、90年代に量産されたこれらの映画はなんだったのか、を考察する映画的エッセイ。

監督は批評家をやっていた英国のCharlie Lyne(Favoriteは”EuroTrip” (2004)だって)、ナレーションは“The Craft” (1996) のFairuza Balkさん。

シンプルにちゃらちゃらさくさくといろんなのを繋いでおもしろかったよねー! で終るのかと思っていたのだが、ものすごく真面目な内容だったので少しめんくらった。 学校が始まる初日から思春期、イニシエーションの恐怖(ホラー)や期待、カースト、プロム、学園生活全般をこまこま包括して並べて、あの時代の子供たちのエモとか好奇心とか挙動全般を大風呂敷のうえに散らして拡げてみせる。

製作している側は、たんに売れてて客が入るから盛って作っていった程度だと思うのだが、あれほどの広がりを見せた普遍的な背景や事情がきっとなんかあるはず、とどこまでも繋いで紡いで掘っていく。ベースの量が沢山あるのでどうとでも纏めることはできるよね、と嫌味のひとつを言いたくもなるが、とっても英国的、書誌学的にきちきちと詰めていて、けっか、この時代のティーン映画が描きだそうとしていたティーンの像を、あそこにあった彼らの生の輝きを結晶化することに成功している、と思う。

もちろん、英国のひと - 当事の当時者/非当事者が見る、日本の... などなど、によって受けとめ方は全く異なって当然だし、時間的に最初の起点である1995年から20年経過していること、等は考慮してしかるべきだし、結果、誰のためのどういう考察なのよ? という点はあるだろう - でもそれって、どんな文化を扱うときでも同じことだよね。

文化史ぽいことをもういっこいうと、この時代の盛りあがりは映画だけによるものではなくて、TVドラマとかMTV上のプロモーションの影響・連動も決して小さくはなかったわけで、そこをどう見るか、とか。

取りあげられている映画で自分が実際に見ているのは半分もないけど、でも“Clueless” (1995)の時も“The Craft” (1996) の時も”Mean Girls” (2004)の時もNYに住んでいたので当時の映画館の熱狂がどんなだったかは知っている。 で、いちばん不思議なのはあれらがいまはどこに行っちゃったのか、ということなのよね。 SNS ... とか言ってしまうのは簡単だけど、それだけなのかしら。
ていうのと、寂れた中年共を主人公にしたロマコメの佳作が割と沢山出てきているのはなんとなくわかる。あの当時の若者がいまだに愛を求めて彷徨っている、ていうことなんだな。

そして自分にとって最大の問いは、この文脈にJohn Hughesを置いてよいのかどうなのか、と。
いや、John Hughesにはすべてが入っているのでそんなのいらんのじゃ、でいいのか...


たまたま今日みかけたこの記事 ...
http://www.vulture.com/2016/09/freddie-prinze-jr-and-rachael-leigh-cook-reunite.html?mid=twitter_vulture

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