7.04.2016

[film] Peindre ou faire l'amour (2005)

2日の土曜日の午後、アンスティチュの特集のなかのラリユー兄弟の3本、のうちの1本。
『運命のつくりかた』は2012年の特集 -「映画とシャンソン」で見ていて、大好きやなつだった。
そして今度のもすてきすぎ。

『描くべきか愛を交わすべきか』。 英語題は“To Paint or Make Love”。

長年連れ添ったウィリアム (Daniel Auteuil)とマドレーヌ (Sabine Azéma)の夫婦は終の住処、というほどではないが引退後に定住する場所を探していて、山のなかの原っぱに囲まれた大きな山荘/農家を見つけてよいかも、て思う。 画家のマドレーヌがそこで風景画を描いていると原っぱの向こうからアダム (Sergi López)がやってくる。盲目の彼は、この村の村長で若く美しいエヴァ (Amira Casar)とふたりで近所に住んでいて、こんど一緒に食事でも、となって4人で仲良くなっていくのだが、ある晩、火事でアダムの家が全焼して焼け出され、ウィリアムの家に身を寄せて一緒に暮らすことになって、更にいろんな親密さが湧いて、少しの軋轢もでてきたので、ふたりは南太平洋のフツナ(だっけ?)に行ってしまう。

太平洋から一瞬戻ってきたアダムとエヴァと話した彼らも、その島に惹かれるようになって、うちも移住しようか、と今の家を売る決意を固めるのだが、売りに出した家を見にきた若いカップルとまた親密なことになって、なんかやっぱり売るのやめようかな、と。

文章で書くと変なかんじだけど、映像はフランスの山間の美しい風景、そのゆったりとした夕暮れ時から夕闇、闇夜の濃さと、老いと死(による別離)が見えてきた初老の夫婦の手探りの不安、それがアダムのガイドによって和らいで、闇夜の野道を歩く感覚を身につけて、だんだんに増していく親密さ/酩酊/エロスへの希求を大らかに、絵を描くように(→ゴーギャンとか)浮かびあがらせていて、すばらしいとおもった。

常に闇の世界にいるアダム、新たな家で闇の暗さ/黒さを意識するようになった夫婦、無垢で豊潤なエヴァ、光がゆっくりと消えていこうとするとき、ひとはどこに向かってなにをしようと思うのか? 食べる、飲む、踊る、歌う、絵を描く、愛を交わす、などなど。

戸惑い、失望、ためらい、どきどき、やっちゃった、あーあ、などを互いに解りあった夫婦間の呼吸みたいなところに落とさずに、別のカップルとの出会いとか森の闇の深さから逆照射して浮かびあがらせて彼ら自身に再発見させるような描きかたをしようとしていて、それが少しもわざとらしくなくうまくいっている。 そういう演技ができる俳優さんたち(Daniel AuteuilとSabine Azémaの繊細さときたら)であるが故、なのだが。

あの森の夜闇とアペリティフと柔らかな灯が、老夫婦を錯乱させて狂い咲きさせてしまった、それだけの映画なのかもしれないが、それにしてもすばらしく豊かで官能的な表現があって、”Nature Boy"の切なさもあって。 「描く」- 自分でなにか表現する - か「愛を交わす」 - 野性に身を委ねる - か、どっちもやってしまえばいいのよ、って。

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