7.03.2016

[film] La collectionneuse (1967)

5月28日の土曜日、有楽町で「モード家の一夜」に続けてみました。

『コレクションする女』。  “The Collector”

ロメールの最初のカラー映画(こんどはカラーのNéstor Almendros)で、『六つの教訓話』のよっつめ。

冒頭、ビーチでビキニ姿のHaydéeの肌をカメラがべったり追うのだが、身体のでっぱり窪みや皮膚の毛穴までものすごく鮮やかで鮮明で、これがコレクションする女。 食虫植物もの。

続いて缶カラに剃刀の刃をつけたりしてる三文アーティストのDanielがいて、更には野外のテーブルを囲んで恋人は顔か頭か性格かみたいな議論をしている男女のグループがあって、そこにいたのがAdrienとその彼女で、彼女のほうは彼の誘いをふってロンドンに発ってしまい、画商との商談のためAdrienがDanielの海辺の別荘にいくと、そこにいたのがHaydéeで、なにが本業なんだかわからない彼女はしじゅういろんな男を連れこんでだらだらごろごろしている(いいなー)。

最初はあんな女(蔑)、だったのだが自分にはなんだかつれないし、他方でDanielとも寝たりしているのでだんだん苛々気になってきて彼女を追いかけ始めて、でも結局は。

ファム・ファタールものではなくて、自分はそこそこいけているいけるはずと思いこんで育った鼻もちならない系の男が「は? なんであんたが/あんたに?」みたいにごく自然に振り回されてかき乱されてしょんぼり消えるようなやつ。 やっぱし女にはかなわないや、と男はいうのだがあんたそもそも圏外だから。
かんちがいすんなよ、ていうあたりが教訓?

すばらしい浜辺の陽光があって、神々しい女の子の肢体と微笑みがあって、それだけのものが充満している -  カメラはそれらを絵画のように再現する -  のに満たされないのは、なかなかいけない到達できないのは、男共の性欲ばかりでかわいそうにー、なのだがそれを見る我々はちーっともかわいそうだとは思わない、というやり口。 そういうのこそが美に対する、愛にたいする慎ましい態度を育ててくれるのだから黙ってろぼけ、とかいうの。
(反対に緑の光線とか青の時間にはしみじみよかったねえ、と思うのはなぜか?)

「モード家の一夜」を見てこれを見ると、夏も近いしロメールのレッスン(ほら、教訓いっぱいだし)に通っておかないとね、ていう感じになって、それもまたなんか懐かしいのだった。

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