10.11.2015

[film] Ant-Man (2015)

19日の晩、あの野卑下劣極まりない採決の場にAnt-Manがいてくれたら、とか思いつつ六本木で見ました。
(いや、あそこにいてほしかったのはHulkだな)

元々気立て善良なエンジニアだったのに、仲間と一緒にやった空き巣でミスして牢屋に送られて、当然妻とも娘とも引き離されて、釈放されても戻るべき家はないから昔の仲間のところに居候して、職に就いても解雇されて、そうしているうちに仲間が新たな空き巣物件を拾ってきて、という典型的な負のスパイラルから抜け出したいのに抜けられなくなっている主人公(Paul Rudd)と、かつて自分が開発した技術を私企業の危険な成長戦略にのって悪用されることをは阻みたいお金持ち博士(Michael Douglas)が出会って、いつのまにか進行していたハイドラとかの悪巧みに立ち向かうの。

主人公が空き巣に入ったとこがその博士のおうちで、苦労して金庫のなかまで掘り進んだのにそこにあったのはなんか古そうで着古したスーツみたいなやつで、でもPaul Ruddは人がよいからそれを着てあげて(そんなの着ないだろ、てみんなつっこむ)、そこに付いてたボタンを押してみたら(押すなよ、てみんな - ) 体がぎゅーんて縮んでAnt-Manになっちゃって、なったらこんどは博士に乗せられてこき使われることになるの。

ふつうの人からは見えない/見えにくい、という点では透明人間に近いけど、透明人間だと物理的に抜けられる/抜けられないの壁があるのに対して、こっちはそういう制約がなくなる、ていうのと、大 → 小、小 → 大の切り替え(びっくり)をそのまま戦法として使える、てあたりが新しいのかも。 でっかくなるほうだとHulkとか既にいるし。

弱々しくて周囲から蔑まれていた男が、科学の力で超人みたいな動きをする、というのは”Captain America”なんかもそうだけど、こっちは肉体改造ではなくて装着系、ていうのと単独で強いというより、そこらの蟻(いろんな蟻の特性を活かす)の力も借りる、という点ではエコでダイバーシティでより新しいのかもしれない。 でも突然でっかくなるとき、仲間の蟻を潰しちゃったりしないのか、ちょっとは配慮してあげたほうがいいんじゃないか、とかおもったり。

などなど、笑いも含めてだいじょうぶかよ、みたいなところがいっぱいで、そのへん、Edgar Wrightだったらどう料理したのかしら、とか思わないでもないが、それなりにおもしろいからいいかー。

なんで蟻男なのか? 蠅はすでにいる(別用途だけど)から次は蜂あたりか。 空飛んで、刺すの。 でも蜂蜜の誘惑には負けるの。

みんなが当然のように思っていることとおもうが、これ、Paul Ruddだからできた役だよね。
このひとの平熱感はほんとただもんではなくて、”This Is 40” (2012) の主人公がそのまま横滑りだと言われても違和感ないし、最初にすてきだなーとおもった”The Object of My Affection” (1998) の頃からみても印象は変わらない。 (自分にとっては)同系のBen Stillerが時たま素頓狂な猿に変わってしまうも無理ないと思うので、偉いなあって。

音楽、”Antmusic”くらいは流れるじゃろ、とか思っていたら本当に流れたので笑った。 でも別の場面でなんでThe Cureの”Plainsong”があんな荘厳に流れたのか、はよくわかんなかった。 たんに聴きたかったから、くらい?

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