10.06.2015

[film] 聶影娘 (2015)

13日の日曜日の午後、初台から新宿に移動してみました。
「黒衣の刺客」、英語題は“The Assassin”。

中国の唐代末期、今から1200年くらい前、河朔三鎮(かさくさんちん)とか魏博(うぇいぼー)とか節度使とかそんな固有名詞が冒頭の説明に並んでいくだけでくらくらして帰りたくなるけど我慢しよう。
誰がどうしたとかあんまよくわかんなくても、うぇいぼーが人の名前だったか土地の名前だったかわかんなくなって泣きたくなっても、どうにかなる。 宮廷中央との力関係とか妾に子供ができたとか陰謀だらけでわけわかんねとかなんでそんなに踊るんだとか妻夫木聡はなんだんだとか、宙を仰いで泣きたくなっても映画のブリリアントなとこはこれっぽっちも損なわれない。

13年前に女道士のところに預けられた隠娘(いんにゃん:舒淇)が両親のところに戻ってくるのだが彼女は暗殺者に仕立てられていて、元許嫁の節度使 - 田季安を殺そうとするのだが、殺せなくて悩んで苦しんで失敗して大変だったりするの。

背景とか筋とかはそんなもんなのだが、モノクロになったりカラーになったり横に伸びたり縮んだりする画面がすごくて、そのすごさって物語のスペクタクルなんかとはまったく連動せず、画面に漲る緊張感と殺気に触れて瞳孔が広がるのとおなじようだ … とか息をのんでいると刺客がどすっ。

アクションに派手さはなくて、ソリッドでやたらかっこいい黒衣と共にミニマル・モダンの舞いが速すぎてわかんなくて、でも打突の音はとっても強くて痛そうで、刺客というのはそんなふうに闇の奥から風のように突然来る、ていう「刺客」とか”Assassin”のイメージそのもの、タランティーノとかには描きようのない力とか倫理のなかで切なく生きるものたち。

これが1200年前の唐朝ローカルのお話しである必然なんてどこにもない気もするが、野山があって移動は馬で床に座ったり舞ったり、という世界である必要はあるのかも。弓矢とか鉄砲といった飛び道具の時代ではまだなくてヒトもまだそんなに飛ばなくて、肉弾と打突と衣擦れの一瞬のなかでひとは生きたり死んだり消えたりする、そういう世界でのたとえば愛、たとえば涙、たとえば安息、とか。

あと、侯孝賢の映画だよねえ、てしみじみする。「最好的時光 : 百年恋歌」 (2005) が3つのてんでばらばらな時代を描いてもその質感になんのギャップもなかったのと同じように、そこからさらに大昔の宮廷武芸帖であってもあきれるくらい侯孝賢のしっとりした湿気と衣の襞が画面に貼りついていて、ただただ美しいったら。

できればもう一回、いや何回でもみたいなあー

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