10.20.2015

[art] Berlin Metropolis: 1918-1933

帰国して、仕事もふつうにぱんぱんで、いつものようにねむい。

New York滞在中の16日夕方、なんとかひとつだけ見れた展覧会。
ごご4時くらいに仕事が終って、終らせて、そのまま逃げるように地下鉄の穴に潜って④で86thまで、86thをそのまま5thまでまっすぐ突っきる。 ここまでは殆ど無意識で勝手に体が動いていく。

Neue Galerieでの展示。 こないだ来たときもそうだったが、館外に列があったりして驚く。昔はそんなのありえなかったのに。

映画”Woman in Gold”の影響か、常設展示の“Adele Bloch-Bauer I” (1907)の前には椅子が置かれていて、見たいひとはじっくりどうぞ、というかんじ。 なんとなく金堂にお参りに来たような、やあまた来たよ/また会ったね、みたいな。

で、この展示は2階の一部屋と3階ぜんぶ、と言っても美術館とは違うのでスペースも点数もそんなになくて、30分で全部見れてしまう、のだがとにかく濃い。ここの展示の濃縮感・圧迫感はいったいどこから来るものなのか(建物?)いつも不思議でしょうがないのだが、今回も絵画、デッサン、写真、人形、ファッション、ポスター、建築、おっそろしくかっこよい建築デザインから卑俗で卑猥な落書き毒絵みたいのまで、一次大戦後からナチスが政権を取って次の大戦になだれこむまで、ワイマール共和国の15年間で、この都市 - Berlinには何があって、人々はどう変わったのか - まちがいなく、ものすごく悪い方向へ変わってしまったその背後にはなにが。

"The "Neue Frau," or New Woman" - 新しい女性(像)、というコーナーが興味深くて、神々しいミューズ的なイメージとも、「アビニヨン」的なイメージとも異なる、よりぶっとくてごつくて生々しい何か、或は「消費」されるイメージをもった女性像がこの時期のこの場所で最初に生まれたものだったのか、等はわかんないのだが、こういう「女性」を見る見方の転換は「他者」とか「生」の捉え方にも並行して波及していったはずで、つまりは - - 。

といったようなことを、ある時代が、ある都市が塗りこめられるかのように変貌する様/感覚を全方位で感じることのできる展示だった。

やはり”Metropolis” (1927)と”M” (1931)  - Fritz Lang作品の存在感は圧倒的で、ポスターとメイキングのスチールくらいなのに全体のトーンを支配しているかんじがした。(いや、ひとによって異なるかもだけど)
2010年に長期滞在していたときに見たMOMAの特集 - ”Weimar Cinema, 1919-1933: Daydreams and Nightmares”はほんとに影響受けたかも、て改めておもった。

あと、”Berlin-Alexanderplatz - Die Geschichte Franz Biberkopfs” (1931) - ファスビンダーのとは別 - の「ベルリン・アレクサンダー広場」のポスターとか。

なんといってもカタログの分厚さ重さがちょっとした鈍器並みにすごくて、こんなの買って運んでやらあ、になってしまった。 で、持ったらやっぱしひどく重いので、次に行こうと思っていたGuggenheimのAlberto Burriは諦めて、そのまま地下鉄に乗ってホテルに戻ったのだった。

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