12.03.2012

[film] Matka Joanna od Aniołów (1961)

24日、ポーランド映画祭の初日、初回から3本続けてみました。
10時過ぎにいったら結構な行列でびっくりした。 で、毎回ずーっと立ち見が出ていた模様。

こんな人気があるもんだとは思っていなくて、もちろんこういう特集上映で映画館がいっぱいになるのはよいことなのだが、なんか雰囲気がすごくぎすぎすしてて、きつかった。 
映画を真面目に見るのはよいことだし、これらはそういう種類の映画なんだから黙れ、なのかもしれないけど、「20分前なのになんで中に入れないんだ」 て怒るひととかは、よくわからない。 そんなら自宅でDVD見てれば。


『尼僧ヨアンナ』 - Matka Joanna od Aniołów (1961) (by Jerzy Kawalerowicz)
人里離れた山寺で尼さんに悪魔が取り憑いて、退治に行った僧がやられた、ということでこんどは若い神父が退治に赴くのだが、やっぱり負けちゃって、恋って悪魔とおんなしよね、おそろしいわねーていうお話し。

画面はじめからおわりまで、おっそろしくかっこよくて、麓の宿場から遠くに眺める教会の位置からしてすごくて、そこを舞台に聖者と悪魔と俗人と権力者、男と女と、愛と憎しみ、正気と狂気、善と悪、上昇と転落の曼荼羅絵が展開される。それは地獄絵ではなくてー。

首が飛んだり首が回転したり、悪魔が前面に出てどろどろの聖戦になることはない。
でも悪魔はヨアンナの魂に取り憑いていて、それは取り除かれなければならない。今の世ならユングくんとかフロイトくんの出番かもしれないのだが、背中を押されたのはまじめな神父スーリンで、見るからに食われそう、とおもってたらほんとに食われちゃうのだった。

音楽ぽいのは鐘の音、尼さんたちの合唱、酒場の流し唄、それだけで十分なの。
登場人物はみんなカメラのほうを向いてて、なんとなく"The Shining"ぽいかんじもあった。


『エロイカ』 - Eroica (1957)  (by Andrzej Munk)
ワルシャワ蜂起での「英雄」のありようふたつ。 
ひとつは喜劇ぽくて、もうひとつは悲劇っぽいの。

喜劇のほうは、あらゆる障害をなんとなくすり抜けつつひたすら歩いていくラッキーなおじさんが楽しい。 特に戦車と干し布団のとこは、来る来る来る、と誰もが思ったとおりのことが起こるの。 悲劇のほうは、捕虜収容所内にいる伝説の「英雄」とその扱いをめぐるどんより暗く陰惨なお話しで、ただ暗いとは言え、大勢に影響を与えることなく済んだので表面上はいいかー て。

どっちのお話しも、戦局に決定的な影響を与えるような「英雄」ではない、みんなが崇め奉るような「英雄」ではない「彼ら」を通して、彼らがいようがいまいが、だれひとり救われることのない、喜びからも悲しみからも遠い戦争のありようを描いた、というか。  


『夏の終りの日』 - Ostatni dzień lata (1958)  (by Tadeusz Konwicki)
戦闘機が頻繁に飛んでくるどこかの浜辺で女のひとと男のひとが出会って、女は男を怪しんで初めは猫みたいに威嚇するのだが、男はなにかに傷ついて病んでいて、時間の経過、ぎこちないおしゃべりを通してふたりはそうっと寄りそっていく。
女も男も、彼らがどこから来た誰で何をしているのか、会話の内容からしかわからない。

ほかに誰もいない夏の終りの浜辺で、ごくごくふつうにありそうな出会いとお昼寝の微睡み、雨、焼き魚、そして虫さされとか擦り傷みたいな別れと。
これは夏の終りの日だから、翌日に夏はもう消えていて、こういうことは絶対に起こらない。
(ホン・サンスの映画だと、彼らは翌日また現れて酒を飲むのね)
彼らはこのあとどうなってどこに行ったのかー。

サイレントでもよかったくらい、飛行機と波の音で感情の浮き沈みがぜんぶ説明できてしまうくらい儚くてきれいで、夏の終りの日、としか言いようのない風景で。
いまこれにサントラをつけるとしたら、初期のThe Durutti Column。


あと、これは言ってもしょうがないことを十分わかってて敢えていうけど、3本ともデジタル上映じゃなかったらなあー。
デジタルに落とされた画面は、ものすごく綺麗でシャープで肌理細かくて、それのどこに問題があるのか、ではあるのだが、作ったひともこれを見た当時のひとも、こんなきんきんしたモノクロの画質では見ていないよね、おそらく。 
どんよりとしたモノクロのノイズとか雲の向こうから見えてくるものもあるはずで、ここで今回掛かるような作品て、どちらかというとそっちのに合っている気がした。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。