12.19.2012

[film] 妻は告白する (1961)

7日の金曜日、もういいかげんやだ! になってしまったので午後やすんだ。

このイベントの前売りは売り切れていたのでどうしようか、だったのだが、とりあえず窓口行ってみて、当日券あったら入ろう、にしておいた。 ら、チケット買えてしまったので、とりあえずそれで。

『妻は告白する』(1961)の上映後に、若尾文子さんと金子國義さんのトークショー。

最初は法廷ドラマで、登山中の事故で大学の薬学部の助教授が落ちて死んだ。 ザイルで繋がっていたのは高いほうから順に製薬会社の営業の若い男(川口浩)、彼と仲のよかった助教授の妻(若尾文子)、最後がその夫(小沢栄太郎)。
状況からすると、妻がザイルを切るか、全員まとまって落っこちるかしかなかったようなのだが、さて、妻に故意の殺意(保険金とかもかかっていたし)はあったのかなかったのか。

裁判の経過と共に妻と夫の関係、彼女と若い男の関係が回想シーンと共に明らかになっていって、教師-生徒のセクハラ&パワハラから強引に始まった不幸な婚姻関係から、たんなる同情といたわりの線を超えていく若尾文子と川口浩の関係まで、なかなかかわいそうで、もうこれは無実しかないでしょ、となって、実際にそうなるのだが、話はそこから先の、単なる三面記事以上のところまで転がっていく。

転がしたのは若尾文子で、彼女にとって体にくいこんでくるザイルを切るなんて蚊を払うのとおなじくらいどうでもよいことで、それ以上に耐えられなかったのは愛を失うことで、それなしではもう生きていけなかったのだと。
妻が告白したのは憎い夫を殺したことなんかではなくて、愛を救ったということなのだと。

後のトークで明らかになったのだが、彼女が着物まるごとずぶぬれになって川口浩の職場に現れ、愛と懇願と哀しみ辛さと自己嫌悪とでぐしゃぐしゃになった目で彼を見つめるあの目のシーン、撮影はここから始まったのだと聞いてびっくりした。
えー、と思ったのだが、でも確かにあの目、強い強いあの目がすべての始まりではあったのだから、これはこれで正しい進め方だったのかもしれない。

愛が全ての中心にあって、それが自分も含めた全ての歯車を狂わせていって止めることができない、ていうのをファム・ファタール、ていうの。

金子画伯とのトークはぐでぐでに崩れまくって収束しなくて、それはそれでおもしろかった。
雨で濡れた彼女のあのシーンをたまらずドローイング(会場に置いてあった)にしてしまったという画伯はこの映画をもう50回は見たといい、そのしばらく後で30回見たといい、あんたファンなのはようくわかったけど、酔っぱらってるだろ、みたいなかんじで、まともな会話にならなくて、実際にトークを仕切っていたのは若尾文子さんのほうだった。

「赤線地帯」の撮影のエピソードとか、映画史的には知られたことばかりだったのかも知れないが、でもまあ、すごい人だよね。(あ、若尾文子さんのほうね) 外見の驚嘆度合としては、5月の日仏のファニー・アルダンさん並み。
なにしろ夢中だったもので憶えておりませんわ、とか言いながらぜんぶすらすら出てくるの。

最後にサイン本も貰えたので、とっても幸せだった。

で、こういう話を聞いた後では、この後、2階上の映画館でやっている『雁の寺』(1962) を見ないわけにはいかなくなったことは言うまでもない。


ぜんぜん関係ないけど、"Home Alone2"、おもしろいねえ。 何回みても。
ふつう、死ぬよね、あれ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。