12.22.2012

[film] Höstsonaten (1978)

9日の日曜日の昼、ユーロスペースで見ました。『秋のソナタ』。

ここんとこ、ドメスティックな昭和モノが続いていたので、そうでない方をちょっと、とか。

Ingmar BergmanがIngrid Bergmanを撮った(このふたり、"mar"と"rid"のとこしかちがわないね)。

娘(Liv Ullmann)がしばらく疎遠になっていた母(Ingrid Bergman)を手紙で自宅に呼びだす。 母が長年連れ添っていた友人(男性)が亡くなって元気をなくしているだろうし、と手紙には書いておいたが、これは娘の罠で、この機に幼少期の恨み - ピアニストとして多忙で、自分も妹もぜんぜん構ってもらえなかった - をぶちまけてやるんだ、というちょっとした意地悪心もあった。

で、実際母が来て、彼女をじわじわ追い詰めていって、酒の力も借りて謝罪の言葉を引きだすことに成功するのだが、アーティストであるところの母は実はぜんぜん懲りてなかったしそう簡単に変わるはずもないのだった、と、そんなお話し。

ドラマとして大きな起伏やうねりがあるわけでもないし、カメラが特にすごい動きをするわけでもない(手前-奥、横横、くらい)のだが、おばさんに向かいつつある娘とおばあさん域に突入しつつある母の際限なくねちっこいおばさん会話 - どっちがどっちを責めているのか責められているのかわからなくなってくる - にずるずるひきずられ、どこに連れていかれるのか不安になったころにぷつん、と終わった。 92分。

こんな犬も喰わないような母娘喧嘩をだれが好んで喰おうとするのか、仮に喰ってみたらどうなるのだらう、を目をそむけたくならない、存在感で勝負できるキャストで、べったり汗をかく必要のない寒冷地帯で撮ってみたら、というのがこれなのかもしれない。

だから、ここに重厚な人生のドラマとかしみいるようなソナタの美しさとか、そういうのを期待してはいけなくて、喜劇と呼んでもよいの。 Woody Allenあたりがやってもぜんぜんおかしくないような。

撮影のSven Nykvistさんは、Allenの"Celebrity" (1998)とか、"What's Eating Gilbert Grape" (1993)とか、"With Honors" (1994)とか、"Something to Talk About" (1995)とか、90年代のすごくおもしろいわけではないけど微妙に心に引っかかる米国映画をいっぱい撮っているひとで、この作品も、ベルイマンという巨匠の、バーグマンという大女優の映画としてではなく、これらの、ちょっとした家族の揉め事でぴーぴー泣いたり喚いたりする人たちの映画の流れに置いてみたほうがすんなりくるかも、とか少しおもった。

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