8.17.2012

[film] The Wizard of Oz (1939)

7日の火曜日の晩、あまりにぼろぼろのぐさぐさでしょうもなくて、シネマヴェーラに行きました。
暑いし、だるいし、オリンピックは終んない(もう終った。終ってよかった)し、なにひとついいことがない。

『オズの魔法使い』。Judyの歌声にのって虹の彼方に飛ばされちまいたいかんじ。
久々に見た気がしたが、これはこれで相当へんなやつだった。 これ見て元気になれる子がいるとはあんま思えないかも。
 
あのときあんなことさえしなければ、という後悔が転がっていく先とその決着が、あまりにてきとーに、天才バカボン的に「これでいいのだ」で結ばって落着してしまうので、なかなかびっくりする。
なんで案山子にブリキ男にライオンなのか、とか、なんで悪い魔女は水かけたら消えちゃうのとか、頭からっぽなやつに紙一枚渡してPh.Dとか、臆病なやつに勲章あげたら強くなるとか、魔法使いは操りのペテンだったとか、なんの説明もないし、とてつもなくいいかげんで無責任な気がする。

もちろん全ての夢は、夢から醒めるというのはそういう「あれはなんだったんだ?」感と共にあるのであろうが、この映画のそれはなんかひどく強引で、あの夢のなかに留まっていたい、というのと、あんな夢から醒めてよかった、というのを同時に実現させようとしたせいか、どちらにも突き抜けることができないままどんよりしてしまうような。

大人になるというのは、そのどんよりを抱えて生きていくことなのかもしれないが、こういう映画でそういうことをあんま意識したくない。
もちろん、ぜんたいとしてはハッピーエンドで終わるのであるが、ドロシーはほんとうに幸せだったのかしら、とか。

歌うたえばとりあえず幸せ、というのがミュージカルなのであるが、この映画では最初のほうの"Over the Rainbow"が全てで、結局虹の彼方まで届くことはできなかった、というとこも含めて、あんまし弾けていないの。

でも、きらいじゃないけど。 "The Dark Side of the Moon"とのシンクロ版もすてきだし。

IMDBによると、ドロシーの外見を決めたのはGeorge Cukorだったという。すごいなあ、なんか。

この後は『オーケストラの少女』だったのだが、吹き替えということだったのでやめて、2階にばたばたと降りたの。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。