8.27.2012

[film] 日本解放戦線 三里塚の夏 (1968)

17日金曜日の午後、暑さでへろへろになったまま、這うように六本木から渋谷に移動して見ました。
『小川プロダクション『三里塚の夏』を観る 上映+特別シンポジウム』。
王国における支配層と民衆のありようを改めて考えねばなるまい、と『メリダ…』を見て思ったので慌てて駆けこんだの。 うそだけど。

小川紳介監督の没後20年、映画が撮られてから44年目の夏に。
既に何回か見ているのだが、やっぱし変な映画だと思った。

最初のほうは、ごちゃごちゃしていてなにがなんだかわからない。 誰かが怒鳴っている声も日本語の言葉として入ってこない、カメラ(マン)も含めて、突然混沌とした異様な世界に投げ込れてしまったような困惑感が画面にありありと出てしまう。

上映後のシンポジウムでも語られていたのだが、68年の2月に小川プロが現場に入った当時は闘争を撮る、ということがどういうことか解っていなかった、と。 それが現地で農民の人たちの話を聞き、一緒に暮らしていくにつれて、闘争に参加するという意識の目覚めとともにカメラが「廻りだした」のだという。

というわけで、これは闘争を記録する、という目的とか意志のもとに撮られた映像、というよりは国際空港建設という国家案件の執行を前に、農地を失いつつある農家と権力闘争大好き学生達と機動隊と警察が泥沼の闘いを繰り広げる只中に身を投じてみて、その様を(とりあえず)撮ってみる、そんなもんだったように見える。 (とりあえず)権力側ではない立ち位置でカメラを廻してみよう、と。

はじめは学生組の作戦会議のようなところにカメラを置いて、彼らがなにをやろうとしているのかを追ってみたりするのだが、何度かのぐじゃぐじゃの闘いを経て、カメラははっきりと農民の側に寄っていく。彼らの発する声の毅然とした強さ正しさに導かれ、やがてそれは撮っている自分たちのカメラマンが逮捕されるに及んで、はっきりとした自身の怒りの声として農民たちのそれと同調し、立ち上がってくる。
その声を獲得したとき、カメラは記録を収めるメディアではなく、(複数の)怒りとその成り立ちを明確に伝える - 40年以上後の世界の我々にも伝える - 道具として、フィルムはその声帯として、こっちに飛んでくるのである。 投石や放水とおなじ強さでもって。

こんなふうに、闘争そのものの行方に加えて、撮っている人たちの意識が変わっていくプロセスと、その変化が画面の上に曝されてしまう面白さがあるのね。 撮る側に迫るだけではなく、撮る側と撮られる側の間にあるなにかが見えてくる地点まで自身のカメラをおろしていくこと。
最近だと『なみのおと』にこれと同じような注意深さ・慎ましさを感じた。

それと闘争の合間に映し出されるごく普通の、われわれがよく知っている昔の農村の、夏の風景 - 宮﨑駿がわざとらしく描いてきた - これらが今どうなっているのか、なんでこんなんなっちゃったのか、こうなることはわかっていたのか、等々について、しみじみ考えさせる力をラストの空撮映像は持っている。  出張で空港に向かうたびに思うのだが、とにかく、ぜったい忘れないようにね、ということをこの映像は訴えてくるの。 

このへんが、シンポジウムでも言われていた、「きれいに撮れてはいるけどぜんぜん訴えかけてこない最近のドキュメンタリー」の話にも繋がると思うのだが、この映画は、68年の夏に何が起こったのか、絶対に忘れるんじゃない、となりふり構わず訴える、その強く猛々しい身振りにおいて、パンクなんだわ、とおもった。

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