8.10.2012

[film] ドキュメント灰野敬二 (2012)

31日の火曜日の夜、FRF2012の残り香、最後の頼みの綱だったM.Wardのご招待ライブに外れてしまったので、その傷を癒すべく別の音楽(映画)に向かったのだった。

前の晩は明るく爽やかな青春を描いた『ヤング・ゼネレーション』だったのに、と少しだけ思ったがこれだってそんなふうに見ようと思えば思える。 よ。 

すばらしく面白かった。
ものすごく奇矯な思想をもって変態な生活を送っている孤高の特異ミュージシャンの全貌を暴く、ようなものでは勿論なくて、音楽創作に一生を捧げる - それも極めてまっとうで誠実なかたちで - 彼の言葉と行動、その作品を丁寧にたどっていくものでした。

不失者のライブに初めて触れたのはたぶん94か95年くらいのNew York、Knitting FactoryのHoustonにあった旧小屋のほうで、最初はそれはそれはびっくりした。 煉瓦の塊みたいに固い音のでっかさに。 その後もThe Stoneとかで何度か通って、東京よかNYのほうが見た回数は多いかも。

彼の音楽を聴いていつも感じるのは、鼓膜が破れそうな轟音の嵐が吹きまくるのに妙に静的な、冷たい石に触れたときのような瞬間があるのと、聴いていてぜんぜん飽きない(気がする)のはなんでか、ということで、その理由が彼の語りを聞いて、彼のやりかたを見ているとなんとなくわかってくる。

彼が見かけ以上に饒舌なひとで、その言葉が理路整然としていることは別のドキュメンタリー"AA" (2006) で既にわかっていたのだが、このドキュメンタリーでは彼の生い立ちと複数のパフォーマンスのリハーサル風景を並列で追いながら、ふつうの親に育てられたふつうのよいこが、音楽に出会って音楽こそ自分が生涯かけて求めるものだ、と確信し、40年以上に渡るその捧げもの生活をふつうの会社員のそれのように追って揺るがない。 その揺るぎなさ、平坦さに安心したりする。 少なくともそこに怨とか呪とかアングラ的な閉塞感はない。 まったく。

彼がどれだけ真摯に音楽に没入しているかは、例えば、バンド名である「不失者」の由来を語るところなんかにはっきりと出ていて、ああすごいなー、とかしみじみするのだった。

あとはリハーサル風景のおもしろいこと。 彼はものすごく真面目に真剣に、やろうとしていることを共演者に伝えるのだが、向こうに伝わっているんだかいないんだかの微妙な空気感がはっきりと映ってしまう。 このおっさんなに言ってんだろ、て絶対だれかひとりは思っているはず。 カタカナの独特な - へんてこな記譜もおもしろすぎる。

これから音楽を志すひと、彼の音楽を聴いたことがないひとに是非見てほしい。
音楽を背負う生というのは、ノイズを作りだす、ノイズと共にある生とはこういうものなのだ、ということが平易な言葉、静かな表情と声でもって語られている。
こういう音楽映画、ありそうでないようなー。

彼の小さい頃の記憶で谷津遊園が出てきたのでなかなかうれしかった。
動物園もあったんだよなー。 秋になると菊人形展ていうのがあって、あれは人生で最初のわけわかんないアートだったかも。

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