8.21.2012

[film] Un Été Brûlant (2011)

12日、姫君が海を渡った後、うだるような渋谷を渡って坂をのぼって、イメージフォーラムで見ました。 
『灼熱の肌』。 英語題は"A Burning Hot Summer"。 色付きだし、夏の映画だねえ。

ネタバレせずに書くことはできない映画なので書きますけど、主人公の画家のフレデリック(Louis Garrel)は冒頭で車ごと木に激突して自殺しちゃうの。 死んじゃったフレデリックの生前を、友人で俳優のポールが語っていく。 それだけなの。

見どころはみっつくらい。 いや、ぜんぶおもしろいけど。

冒頭ですっぱだかのMonica Bellucciが青いシーツの上に横たわっているとこと、みんなでDirty Pretty Thingsの"Truth Begins"(こんないい曲あるんだ!)に合わせてぐるぐる踊るとこと、主人公のおじいちゃんのMaurice Garrel(これが遺作…)が死の床にある孫に語りかけるとこ。

最初のMonica Bellucciのシーンにはすさまじい重力が渦巻いていて、これはこないだの『愛の残像』の最後のほうでLaura Smetが鏡の向こう側に現れたのと同じ強さでもって、主人公をあちら側に引っ張るの。

みんなで踊るとこは、ガレルのいくつかの映画では定番なのであるが、ほんとに惚れ惚れする。
アメリカ映画のダンスとは明らかに違うんだよねー。
群舞、ってかんじというか、踊ってみたいのはフランスのほうかなあ。

最後のMaurice Garrelのシーンはほんとにすごい。
主人公のフレデリックにとっても祖父の役でコミュニストのレジスタンスだった、という設定で、既に亡くなっているのだが、瀕死のフレデリックの枕元に現れて、快活に彼に語りかける。
戦争で死にそうになったけど、生死の境目なんていいかげんなもんじゃよ、と。 
でもおじいちゃん、ぼくは愛を失ったんだよ、もう死ぬしかないよね? と問うとおじいちゃんは、ああそうじゃな、ていうの。それならしょうがない、と。
役として言っているだけではなくて、この後しばらくしてMaurice Garrelは本当に死んじゃったのだから、間違いなく孫に向けての遺言でもあった、のかもしれない。 
祖父と孫の間に挟まってそれを撮っている父 Philippe Garrelもあわせて、なんなのこの一族…

『愛の残像』は、死んでしまった彼女の側に引っ張られるはなしで、『灼熱の肌』は、生を持っていってしまった彼女に叩き落とされるはなしだった。 どっちにしても待っているのは死。
Garrelにとって、愛は生きるためにあるのではなく、死ぬためにあるものなの。

なぜなら彼の愛する女たちはもうみんな死んじゃってむこう側にいるのだし、でも、彼女たちはフィルムのなかではずっと生きているものだから。だから。
彼の言っていることが間違っているとはどうしても思えない。

ちょうど対になっているような『愛の残像』と『灼熱の肌』であるが、前者の主人公は光を内に取りこむ写真家であり、後者のは色と形を自分でねじくりだす画家であるという、その違いはなんかあるんだろうな。 たぶん。

ふたつの映画のどっちが好きかでたぶんそのひとの恋愛観みたいのもくっきり出るのだろう。 
わたしはやっぱし、Monica Bellucciさんのが(重量として)すごいとおもうので、こっちかも。
とか、Garrelの映画って、こむずかしく見る人が多いように思うのだが、もっと軽く見ておしゃべりしたってよいのではないかしらー。

あと、音楽はJohn Caleさんで、どことなく不安定に、死体のように折り重なっていくピアノがすばらしかった。

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