3.11.2012

[film] Un Amour de Jeunesse (2011)

竹橋の後で飯田橋に行って、日仏の特集『フランス女性監督特集』。 
8日は「国際女性の日」でもある、と。

とにかく、昨年のNYFFで見たいようて地団駄ふんで涙をのんだMia Hansen-Løveの新作が見れる。
ついでにこの企画のなかでMiaのこれまでの3作が全部上映される、本人も来日してトークがある、というし、そんなら会社なんていくらでも休んだる。

3:00からがデビュー作の"Tout est Pardonné" - "All Is Forgiven" - 「すべてが許される」。
未見だと思いこんでいたが、2007年に日仏で見ていたことを直前に思いだした。

自堕落でヤクにはまっていく父親との幼い頃の暮らしと別れ、17歳になって父と再会し、その後に彼の死を経験するパメラの決して幸せではない、でも不幸でもなかった家族の記憶を丁寧に描く。
すべては起こってしまったあとにくる。 そして(故に)すべては許される(されねばならぬ)。

という彼女の初期3部作の基本テーマが既に出ている、ということが今になると、わかる。

6:00から、最新作の『グッバイ・マイ・ファーストラヴ』。これ、英語題だと"Goodbye First Love"で、別に「マイ」なんてなくてもよいのでは、と思うのだが、どうだろう。

映画はすばらしかった。 会社休んでよかった。
父親の喪失 - 家族の再生がベースにあった前2作と比べると、今回ははっきりと恋愛。しかも絶対不動不滅の初恋をどまんなかにもってきた。

98年の夏、情熱的に愛し合ってやりまくる15歳のカミーユとシュリバン、でもシュリバンは友達と10ヶ月の南米旅行に出かけると言って、むくれるカミーユを置いて旅立ってしまう。 そのうち彼からの手紙もだんだん来なくなって、なにもかも嫌になった彼女は薬を飲んで自殺をはかる。

2003年の夏、建築を学んでいた彼女は勉強ツアー先の北欧で少しだけ過去の傷が癒えた気がして、そのきっかけを作ってくれた建築家ロレンツと恋におちる。
2007年、ロレンツの事務所で働き、同棲も始めた彼女の前に以前とあまり変わらない(ちょっと疲れた)シュリバンが現れる。 最初はつんけん突っぱねていたものの、一時期自分の全てだった彼の登場と共に、なにかが揺れはじめるの。

ひとりの女の子の成長を描く、ということ、そして彼女は彼女であって、他の誰でもありえないこと、というその視座は、全3作を通して変わっていない。 こんな娘いるよねー、とか、わかるわかる、とかそういう共有できるなにか、汎化できるなにかを持ちこませないだけの強い目をもった娘として、パメラもカミーユもいる。

でも、ちょっとだけ意地悪な見方をすると、彼女たちの痛みや煩悶は他者からの虐めや迫害によってもたらされたものではない。彼女たちが泣くのは自分の想いが叶えられないからで、他人にひどい仕打ちを受けたことによるものではない。 彼女たちはずっと「よいこ」として育ってきて、他人にぶん殴られる辛さや痛みを知らない。

そんな彼女のまっすぐ澄んだ瞳に、彼女のような娘を育ててみたいカイエを始めとするおやじ批評家達がでれでれになってしまったことは想像に難くない。

もちろん、彼女はそうやってきたのだから、他に描きようがないのだから、しょうがないの。
この3部作の次こそがほんとうの始まりになるのだと思う。

しかし、ラストのロワール川の帽子のとこは素晴らしく素敵だ。
あれだけ堂々とした、見晴らしのよいラストで締められる恋愛映画なんて、そうないよ。

ここで流れるのがJohnny Flynn and Laura Marlingによる"The Water"。
そういえばMiaって、どことなくLaura Marlingにかんじが似てるかも。
すごい別嬪さんだし。(←ひどい偏見)

あと、彼女の音楽のセレクションは、よくわかんない。 あのケルト系みたいなやつとか。

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