3.03.2012

[film] Reminiscences of a Journey to Lithuania (1972)

先週末からシネマヴェーラではじまった特集「アメリカン・インディペンデント魂!」。

このプログラムの中味について、いろいろ言いたいことがあるのはわかる。
ジャームッシュは"Down by Law"までだろう、とか、スコセッシやソダーバーグがなんで入ってるんだよ、とか。 でも、いちおう、あくまで「魂!」だから、ということで。

で、火曜日の晩に2本見ました。
プログラムにあれこれ注文はあろうが、この『リトアニアへの旅の追憶』が入っているから、この1本があるから、この特集はいいの、とおもう。 
それに、恵比寿映像祭でメカスの新作見れなかったしな。(まだいう)

Catskillの山の散策から始まって、BrooklynのWilliamsburgの移民("Displaced People"と言っている)コミュニティの話、そこから故郷であるリトアニアのセミニシュケイを訪ねたときの話、そして友人たち(以前は気づかなかったけどKen Jacobsがいたのね)とウィーンを訪ねたときの話。

最近見たメカスの一番新しい作品は、こないだのTIFFでのゲリンとの往復書簡に挟みこまれたやつだったが、「リトアニア…」で描かれた世界と基本は変わっていない。

いや、正確には、72年から40年が過ぎて世界が変わり、メカスが歳をとった、という点では変わったのだが、メカス自身がカメラを手にして自分がいま暮らしている世界と、他のひとが暮らす世界を対照させつつ、定点を持たないDisplacedな自分の痕跡を記録する、そのフィルムのぐるぐるのなかに世界を置こうとする、そのやり方、文体はメカス以外の誰のものでもありえない。

それは「安息の地、約束の地を求めて」のような胡散臭いものでもなければ、旅日記のようなお気楽なものでもない。 難民として世界から拒絶され、故郷を地図から消去されてしまった過去をもつ彼にとって、フィルム上に刻印された光の粒とその動きこそが世界と自身を繋ぐ線であり生き残るための方策だったのだ。

この切なさ/切実さと、どこに行ったってどっちみち失敗なんだから、という開き直りが、カメラを持つ手に何とも言えない揺れ(震えと笑い)をもたらし、メカスが切りとった世界はどこまで行っても初めて見るような世界として我々の前に姿を現すの。

セミニシュケイにいたあの猫は、子孫を残して、そいつらはまだどっかにいるのかなあ。

そういえば、「往復書簡」で出てきたピクルス、1月に大瓶を買って帰ったのだった。
すんごいおいしかったの。

http://www.mcclurespickles.com/

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