3.21.2012

[film] mon oncle antoine (1971)

こないだの週末はお天気のせいもあって更に更にぼろぼろで、2本だけでした。
これはどしゃぶりの土曜日の晩、横浜に行ってみました。 

『僕のアントワーヌ叔父さん』。 ずっと見たかったやつ。
見てよかった。 映画のなかに出てくる鉱山から奇跡的に掘り出された宝石のような映画。

カナダのダイレクトシネマは数年前にアテネで特集があったのを見たくらい。 
あと、iPhoneのアプリのNFB/ONFにあるのとか、くらい。

ケベックの40年代、アスベスト鉱山のふもとの貧しい村で雑貨屋の丁稚として働く15歳のBenoitがいて、彼を育ててくれた雑貨屋のAntoine叔父さんがいて、叔母さんがいて、いっしょに働いている貧しい家の娘のCarmenがいて、店員のFernand(監督本人が演じる)がいる。

それから村のはずれにPoulin一家がいて、彼には子供が4人、子供達は貧しくて学校に行くこともできず、父親は鉱山で働いているがやってらんないと伐採の出稼ぎに出てしまう。
こういう村のクリスマス前から当日にかけてのいろんな出来事がBenoitの目を通して描かれる。

こないだ見た"Le Skylab" が夏の日、11歳の女の子が経験した笑いとときめきに溢れていたのに対して、こっちは凍える冬の日、クリスマスを前にしんみりと大人の世界を覗いてしまうBenoitの畏れと惑いとがまっすぐに描かれている。

大人の世界というのは、具体的には死と性とその他いろいろ。
最初のほう葬儀のシーンで描かれる遺体とか、Josの家の長男が突然亡くなってAntoine叔父さんと吹雪のなか、棺桶を持って遺体を取りにいくとことか、Carmenとのあれこれとか、コルセットを買いにきた女性を覗くとことか、叔母さんとFernandの関係とか、でもそんないろいろがある一方で、Antoine叔父さんは、遺体を取りにいった帰路、酔っぱらって動けなくなるし、おばさんはその隙に不倫してるし、途中で落としちゃった遺体を探しに元の家に戻って、刺されるように冷たい目で見られたり。

そういう世界に触れるたびに、じたばたびくびくおどおどするBenoitの目を通して、大人の世界の大変さや猥雑さを際立たせるわけでも、かといって子供の世界の無垢や純粋さを際立たせるわけでもなく、ましてや両者を融和・調合可能な幸せな理想世界として対照させることもせず、ただただその中間地帯にあるBenoitが経験していく世界、来るべきなにかと消えていくなにかを静かに描き出している。

彼が乗って前に進んでいく馬 - Red Fly - のでっかい背中の動き、同じようにでっかくてびくともしない雪のなかの棺桶、そしてそれらを見渡すBenoitのまっすぐな枯草色の瞳がとても印象的で。

Josの物思いに沈んだ顔、村人がうだうだ飲んでいるテーブル、クリスマスディスプレイのお披露目、炭鉱の上層のおやじが馬車からばらまくクリスマスのギフト、暖かいパーティ、冷たい食卓、冷たく固まった遺体、いろんな目線と眼差し、これら全てが、ほんとうにそこにある。 
ばらばらの点景であり、同時に全てが干渉しあってひとつの像を結んで、ひとつの世界としてBenoitの瞳の前に立ち現れる。 それをすべてきちんと収められる場所にカメラは置いてある。

フィルムを介して瑞々しく立ち上がる世界、というのは例えばこういうのを言うのだろう。
これが、今から40年前に撮られた、撮られた時点から30年前の世界の話だなんて、誰が信じるだろうか。 約70年前のケベックの風景、決してそれだけではなくて、でもそれだけでも十分な。

一生ずうっと本棚にいてほしい、ものすごくちゃんとした写真集に出会ったかんじ。 
でも映画館でしか出会えないの。
なあんでこれが、これまで未公開で、東では1回しか上映されないのかなあー。

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