1.02.2024

[film] Perfect Days (2023)

12月29日、金曜日の午後、Tohoシネマズ日本橋で見ました。
年明けにみたら気分が悪くなってよくないのでは、という予感があったので年末で片付けといた。

監督はWim Wenders、脚本は彼と電通のひと。カンヌで役所広司が男優賞を受賞した作品。
キャッチコピーは「こんなふうに生きていけたなら」、だってさ。 下の句は「苦労はしねえよ!」だわ。

個人差はあるのだろうが、全体としてものすごく気持ちのわるい、土建屋やディベロッパーや代理店のよく作り込まれた宣伝ビデオにしか見えなかった。うそばっかり! とまでは言わないけどこれが”Perfect Days”というタイトルでほんわかと受けいれられてしまう空気に対する怖さ、ってある。

東京スカイツリーが近くにある古い木造アパートでひとり暮らしをする清掃作業員 - 平山(役所広司)が朝暗いうちに起きて、髭を整えて顔を洗って階段を降りて(ここなら階段落ちがある/できる、と思ったのになかった)、自販機で飲み物を買ってワゴン車に乗りこんで、カセットテープの音楽を聴きながら公衆トイレに行ってルーティーンの掃除していく、そんな日々と重ねられていく彼の周りのエピソードを細かく追いながら、特に大きな事件もなくてよかったね明日もがんばろうかー、で終わるの。

清掃を中心とした仕事とその周辺で起こる小さな出来事についてはふつうによくできていて、それは最後に字幕の説明つきで映しだされる「木洩れ日」のように陽や風のありようによって自在に姿形を変えて、でも目の裏に像として残る美しい模様を描いて和ませてくれてよかったねえ、なのだが、そんな木洩れ日を作ってくれる樹木を根こそぎ切り倒して金儲けしようとしている側の連中が企画している映画なのだって冗談としか思えないし、そう思うとあの「木洩れ日」映像のあとに「XX不動産」とか「XXホーム」とかのロゴが入ってもおかしくないし、入れてくれた方がまだすっきりしたかも。

そもそもが渋谷区内17か所の公共トイレを刷新するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」のPR目的 - 役所広司もその制服を着ている - で企画されたものだそうなので、そこで映しだされるトイレはクリーン(であってほしい)に決まっているし、その周りにいるホームレスと思しき男(田中泯)も変な動きや踊りをしたりするだけで静かに雑踏の向こうに消えていく。あんなふうに音もなく幻のように消えてほしかったのだろうねえ。

彼が60-70年代のロックではなく”Pretty Vacant”でもがんがん鳴らしながら、トイレの個室で「◯X」ではなく、破壊計画に関わるメッセージをやりとりして、田中泯が安保闘争で殺された学生が変転した天使か亡霊だかで、そして個々の「個性的な」トイレをその個性に応じた機能不全に落として小パニックを連鎖させていくようなドラマだったら、まだ見る気がしたのになー。助成金とかは出なかったろうけど。

彼が過去に背負ってきたであろうもの、いまも傷として抱えている(かもしれない)なにか、そこに触れる必要はないのかもしれないけど、施政者やその下でそれを請けている業者がああいう労働に従事せざるを得なくなった人たちをどう扱ったり見たり(見るようにしむけたり)してきたのか、がふつうに知っていることとして挟まってくるので、彼はその仕事にやりがいと誇りをもって取り組んでいるのだとしても、なんだかとてももやもやする。

ここで描かれる平山の一日の活動すべてがあのトイレと同じようにクリーンな律儀さで並べられ、彼は周囲に待遇や収入や物価高や生活苦にグチや文句をこぼすことも、泥酔して迷惑をかけることもなく、せいぜい欠員で自分の仕事が回らなくなった時に声を荒げるくらい、代理店が理想として描く従順で帰属意識の高いいち市民としてあって、ちょうどコピーライターの糸井なんとかが犬猫は文句を言わないから大好きだ、と讃えたあれを思い起こさせる。犬猫だって怒る時は怒るわぼけー。

脚本はそういうヒビや傷みなどを見る側に意識させることがないように漂白・去勢され、監督が意識したであろう小津的な規律で主人公たちの表情や俯きを追うカメラだけがその不穏さ、怪しさを木漏れ日のなかにぼんやりと映し出す程度。

NYのCBGBのトイレも、Londonの公衆トイレも、めちゃくちゃ汚れてて酷いものだったが、それらは街の様相やアウラやその魅力を貶めたり損ねたりするようなものではまったくなかった。クリーンであるに越したことはない、のかもしれんが、駅のホームでも通路でも電車内でも下品で幼稚なケバケバしい広告まみれにして、その反対側でゴミ箱も浮浪者も見えないところに追いやって、みたいなことが街の魅力(どんなもんであれ)をあげることに繋がるって信じているのだとしたら、そのアタマって相当にやばいよ。

というような、五輪や万博や神宮再開発を前にした時の、なんでこんなことを欲にまみれたくそじじい共にわからせなあかんのや、の不快感や無力感が前面に出てきて思い起こされて、ちっともよいとは思えなかったの。


荷造りなどをしながらだらだら書いていたら、羽田でとんでもないことが起こって、明日の午前、本当に飛べるかどうかわからなくなってきた(... だいじょうぶっぽい)のだが、とりあえず空港に向かうしかない、のかな。

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