6.17.2023

[film] This Other Eden (1959)

6月8日、木曜日の晩、角川シネマ有楽町の『アイルランド映画祭2023』で見ました。
邦題は『もうひとつの楽園』。今回のクラシック枠はこれと『静かなる男』(1952)だけかー。古いのをもっと見たいのに。

原作はアイルランドのLouis D'Altonによる同名戯曲(1953)、英国の女性監督Muriel Box (1905 – 1991)によるコメディ… かなあ。最初にBFIのロゴがでたのでじーんとする(それだけで)。

アイルランド独立戦争の終わり頃、アイルランド軍の司令官Jack Carberryと記者のMick Devereaux (Niall MacGinnis)は英国軍の将校と直接交渉すべく夜に車で出かけたのだが、それが罠で、待ち伏せされていた英国軍に撃たれてJackは殺されてしまい、Devereauxに後を託す、というのが冒頭。

そこから時は流れてアイルランドは独立して、Jack Carberryが地元の偉人として讃えられている田舎町Ballymorganでホテルを経営している成金McRoarty (Geoffrey Golden)のところに英国の学校に行っていた娘のMaire (Audrey Dalton)が帰ってくる。その電車のなかで彼女に寄っていったのが英国人のCrispin Brown (Leslie Phillips)で、CrispinがMarie素敵だなー、って思っていると、途中で若者のConor Heaphy (Norman Rodway)が乗りこんできて、ConorとMarieは昔からの知り合いらしい。

元気そうに戻ってきたMarieをMcRoartyと地元のおっさんたちは歓迎するが、CrispinとConorに対しては冷たくて、Crispinが地元の歴史的な遺産でもある邸宅Kilgarrigをオークションで落として買おうとしていると聞くと余計に嫌うようになったり、地元で聖職者になりたい、というConorにも後見人のDevereauxは難色を示したり。

やがて地元のお祭りでJack Carberryの銅像が披露されると、それが変てこなモダンな奴で、一同しーんと微妙なかんじになってしまった晩に銅像が何者かに爆破されて、それはあの突然現れた英国人Crispinの仕業に違いないって、群衆がホテルに押しかけていくのだが…

その一触即発の騒動のなかで明らかになっていく偉人Jack Carberryも含めた登場人物それぞれの過去や出自、そんな彼らにどんな明日がー。という民族対立や革命の歴史を踏みしめて乗り越えようとするRom-comにしてはちょっとおもしろいやつだった。 MarieとCrispinは少し歳も離れているし、Crispinはなにをしてあんなお金持ちになったのか不明だし、階層の壁も厚そうだし、そんなでも結果みんな幸せそうになってしまうところはいいのか? なんだけどアイルランドならありそうかも、って。 そしてこれが”The Other Eden”なのだ、と。


Steps of Freedom (2021)

6月14日、水曜日の昼に同じくアイルランド映画祭で見ました。
日曜の晩のは見れなかったので、昼間に会社を抜けていった。それくらいIrish Danceはだいじで愛していて、90年代のNYでの数年間、St. Patrick's DayにカーネギーホールでThe Chieftainsを見て、Irish Danceのリサイタル(前座はCeltic Harp Orchestra)を見る、というのを繰り返していた。(他方で”Riverdance”はメジャーすぎて違う気がしてよけてた)

正式タイトルは”Steps of Freedom: The Story of Irish Dance”というドキュメンタリーで、監督はRuán Magan。

最初はいかにもアイルランド、という野山海の景色を背景に、あるいはバーの床や扉の前にしてダンスを踊る姿 - これがIrish Danceだ、って紹介があって、続いてアイルランドだけじゃなくて、NYのDelancey St(なぜ?)の路上でも踊るひとが映されて、いったいどうしてIrish Danceはこんなに世界に広がっていったのか(みんな大好きなのか?)、という問いが投げられる。(少しだけほんとか? って)

ここから植民地として始まったアイルランドの受難の歴史とそれに対する庶民の抵抗と限られた娯楽として道端から家の隅から止まらなくなって広がって、飢饉で国外に渡った人々の間にも広がって、特にアメリカではアフリカからの奴隷とアイルランドからの移民労働者との間で火花が散ったりしつつ海外でも根付いて… という、歴史的にも地理的にも止まることのなかったステップの勢いと広がり - はっきりアイルランドの歴史に根ざしている - を紹介しつつ、なんでこの、地面や地面の上に置かれた板の上でシンプルに足をどんどこ踏み鳴らしていく垂直運動ばかりで、互いの身体を絡み合わせたり振りまわしたり、といった所謂ダンスの動きとは異なるああいうのに惹かれてしまうのか、をいろんな角度からいろんな人たちが語っていく。

もちろんはっきりした答えなんかないのだが、でもひとつあるのは、周りがみんなやっていたから、小さい頃から父も母もずっと踊っていたから、とか、ダンスの先生が宣教師のようにそこらじゅうに散らばって教えていったから、とか。これこそが伝統とか文化って呼ばれるやつなんだわ、っていうのと、それがアメリカの労使環境とかショービズのなかで他のとどう衝突したり磨かれたりしていったのか、とか。

個人的には相手とかいなくてもひとりで黙々と練習できそうなとこ - 楽器もいらない、床と靴があれば - あたりがよいなー、って。ヒップホップもそういうとこないかしら。

そうそう、パブでバンドつきで踊っているシーンで、ハープを弾いて歌うLiam Ó Maonlaíの姿が映る。彼のいるHothouse Flowersっていうバンドのライブはほんとにすばらしかったのよ(まだ活動してるけど) 。”Feet on the Ground"っていう曲もあったなー。

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