6.07.2023

[film] Örökség (1980)

5月28日、日曜日の昼、シネマカリテのメーサーロシュ・マールタ監督特集で見ました。
邦題は『ふたりの女、ひとつの宿命』、英語題は”The Heiresses”(”The Inheritance”というのもある)。

“Kilenc hónap” (1976) – “Nine Months”の中心にいたふたり - Lili Monori - Jan Nowickiの間にIsabelle Huppertが入る。この作品と比べてみておもしろいのは、どちらも男女の三角関係(女性2+男性1)を描いていながら”Nine Months”が男性(Jan Nowicki)の方が嫉妬で狂うのに対して、こちらは女性(Lili Monori)の方が狂う話であること。どちらも子供をつくる/もつことが物語上で大きな意味をもつのだが、”Nine Months”における子供は(その時点の)ふたりの関係のシンボルのように扱われているのに対して、こちらはタイトル通り相続/継承のための道具のように扱われること。そして”Nine Months”の舞台は現代であるのに対し、こちらは1936年から1944年の第二次大戦期である、等。そして共通しているのは主人公である彼女たち女性 – 特にLili Monori - がイエや家庭から疎外されて明らかに幸せな状態に置かれていない(ように見える)、ということ。

ハンガリーの裕福な貴族で城のような邸宅に暮らすSzilvia (Lili Monori)は、記録映画や写真を撮ったりしているぱりっとした軍人のÁkos (Jan Nowicki)と結婚するのだが、彼女は不妊症で、このままでは自分の家の遺産を相続できない(し手放すわけにはいかないし)ので、店員をしていて健康そうな友人のIrène (Isabelle Huppert)に声をかけて、自分のためにÁkosの子供をつくって産んでくれないか、と持ちかける。もちろん謝礼はたんまり。

最初は嫌だと言っていたIrèneもÁkosとふたりで会って話したりしているうちに気が変わってきたのか、やがて彼との間に子供が生まれて、でも生まれた子は当初の約束通りすぐにSzilviaに取りあげられてしまう。でもそこからよくある代理母の是非(情とか恨みとか)や生みの親 - 育ての親のあり姿について問うような方には向かわない。

この件以降、交尾/出産とは特に関係なく親密になってしまったらしいIrèneとÁkosを陰とか横で見ていたSzilviaが嫉妬なのかなんなのかぼろぼろに崩れていって、その状態でIrèneはユダヤ人であることを当局に告発されて捕まり、そのうちÁkosも軍人の地位を追われて、空っぽの表情で繋がれて連行されていくIrèneとそれを見つめるÁkosの姿でおわるの。

古いフィルムの中で再現される戦争の時代や(旧)貴族階級のありようや価値観ゆえの- というのはあるのかないのか、そりゃあるけど、そんなに激しくはないような – そんなのあってもなくてもどっちにしてもきついしだるいしやってられなくて、そこは今のとそんな変わらないのではないか、とか。

Isabelle HuppertさんがÁkosの去った後に、花瓶に差してある花束の花の首をひとつひとつ無表情に切り落としていくところがすごい。この時の彼女、これと並行して『天国の門』(1980)も撮っていたって… 両方ともめちゃくちゃしんどい役なので震える。


Örökbefogadás (1975)

5月29日、月曜日の晩、シネマカリテの同じ特集で見ました。
邦題は『アダプション/ある母と娘の記録』、英語題は”Adoption”。 メーサーロシュ・マールタがベルリンの金熊を女性として初めて受賞した作品だそう。画面は粗めのモノクロ。

43歳で工場で働きながらひとり一軒家に暮らすKata (Katalin Berek)は健康診断を受けて、今からでも子供を産むことは可能か? と聞いたりして、答えはYesだったので、ずっと付きあっている妻子持ちのJóska (László Szabó)に持ちかけてみるのだが相手にされない。

ある日、近所の寄宿学校 - 親に棄てられた子たちが集められたとこ- に暮らすAnna (Gyöngyvér Vigh)が家に訪ねてきて、彼と会う場所がないので昼間家を貸してくれないか、と聞いてきて、だめだ、と返すのだがAnnaのことが気になったKataは話したり一緒に食事に出たりするようになり、家にはAnnaの彼のSanyi (Péter Fried)も出入りするようになる。

Kataは最初Annaを自分の子にできないか、と思うのだが断られたので諦めて、でもずっと家の隅でいちゃいちゃしてて仲のよさそうなAnnaとSanyiは一緒にさせてあげたいから、とAnnaの両親のところに出向いてふたりの結婚の許可を取り付けて、自分は施設から養子を貰うことにするの。最後はAnnaとSanyiの結婚パーティなのだが、新郎新婦はもう喧嘩したりしているし。

どうしてKataはそんなに母になりたいのか、なろうとするのか、どうしてAnnaは(よい)娘でいられなかったのか、ふたりのぎこちない(そんなにうまくいくとは思えない)試みを通して、女性たちの幸せのありようと、その阻害要因で有害なだけでほんとどうでもよい男たち – ここだとJóskaとかAnnaの父親の姿を晒す。そんな男たちのくそどうでもよい存在の軽さを描くところはChantal Akermanのそれに近いが、あれよりもう少し悪意と敵意があるような。

黒猫がいたねえ。


それにしてもこの気圧はなに?

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。