4.01.2023

[film] Les vampires (1915 - 1916)

3月24日、金曜日の夕方にep.1-2-3(39分-17分-48分)を、25日、土曜日の午後にep.4-5-6(38分-45分-72分)を、26日、日曜日の昼にep.7-8(55分-65分)を、間に”Irma Vep” (1996)を挟んで、夕方にep.9-10(60分-68分)を見ました。

邦題は『レ・ヴァンピール 吸血ギャング団』。英語題は”The Vampires”。
上映している3日間、ほぼずっと雨がざあざあの暗く湿った週末で、そこがまた雰囲気としてはたまんなくて、低気圧頭痛と共に吸血の沼に沈められてしまうようだった。

作、監督はLouis Feuillade。ピアノ伴奏は柳下美恵さんで、演奏がとにかくすばらしくて、特にGaumontのロゴが表示されたあと、低音のテーマがでけでけ鳴り出すところがたまんなかった(まだたまに頭の奥で鳴ったりしている)。あのピアノ伴奏付きでDVDだしてほしい。

Louis Feuilladeの作品は、シネマヴェーラで一日がかりで上映したりしていた”Judex” (1916)もあったのだが、まずはどこかでこっちを見なきゃ、ってずっと思っていて、その熱が昨年のTIFFでのOlivier Assayasによる(オマージュというのかリメイクというのかなんというのか)”Irma Vep” (2022)を見て再燃したので、なにがなんでも見なきゃ/見たい、になっていたところでの今回の特集。

1910年代のパリを舞台に当時の観客を熱狂させていた連続活劇のフィルムが30年代、ふつうに舗道に捨てられていて、それをアンリ・ラングロワが拾ったとかいうそれ自体ノワールっぽいいかがわしさ満点のエピソードも含めて、吸血ギャング団は実在していて今も秘密結社として暗躍しているのではないか、とか。

各エピソードのタイトルは、以下のとおり。こうやって並べてみても(こういうタイトルの本が並んでいるのを想像したりすると)、不穏でやばいかんじが満載で、しかも表紙にIrma Vepの絵があったりしたらすぐ手にとるしかない。

ep1:“La Tête coupée”『首なし死体』、ep2:”La bague qui tue”『殺しの指輪』、ep3:”Le Cryptogramme rouge”『赤い暗号文』、ep4:”Le Spectre”『幽霊』、ep5:”L’évasion du mort”『死者の逃亡』、ep6:”Les Yeux qui fascinent”『幻惑する眼』、ep7:”Satanas”『サタナス』、ep8:”Le maître de la foudre”『稲妻の主』、ep9:”L’omme des poisons”『毒の人』、ep10:“Les noces sanglantes”『血に染まった結婚』。

各エピソードの個々の筋を追っていくのはしませんけど、ポイントはこれが1本の長いドラマではなく、連続活劇ドラマとして作っていく端からリリースされていったことで、たぶん観客は「幻惑する眼」にやられて催眠術にかけられたように次を追っかけて劇場に向かった、その目は彼方の第一次大戦の方からも、戦場に吸い込む魔の力として吹いてきて、これが生きて最後に見る映画になる、Musidoraが生きて最後に見る女性になるのかもしれない、そんな切迫感も感じられたりもする。(このかんじが画面上のどこから来るのか - 死体の雑な扱われ方とか、だろうか?)

新聞記者のPhilippe Guérande (Édouard Mathé)はあちこちで頻発する怪事件の裏にヴァンピールという組織が動いていることを突きとめ、その動向を追っているうち、オフィスでファイルが盗まれていることがわかり、横にいたMazamette (Marcel Lévesque)を捕まえるのだが、彼は3人の可愛い子ら(写真を見せる)を養うために仕方なくヴァンピールで働いているのだ、って泣き言を言って許してもらって、これ以降Guérandeの協力者としてなくてはならない存在になる – というかこの人、後半はGuérandeよかずっと活躍して偉いのだけど。

最初のエピソードで、死体のすり替え - 死んだと思ったら生きてた、とか別人だった & 生きている方だっていくらでもすり替わる、っていうヴァンピールのやり口というか方程式が示され、それに従って団の親玉も最初のLe Grand Vampire (Jean Aymé)からSatanas (Louis Leubas)へ、最後のVénénos (Frederik Moriss)へと変わって、その攻め方も変えていくようだし、Irma Vep (Musidora)も敵対ギャングのMoréno (Fernand Herrmann)のところで動いたり戻ったり、敵も味方も変幻自在に規模や姿を変えて、でも人殺しとか悪いことはいくらやっても懲りない飽きないような。(でも人数いる割にはそんなに稼げていないのではないか。みんな副業なのかな)

エピソードが細かく切られているので気にならないだけなのかもだけど、悪玉善玉それなりに間が抜けていて、あちこち突っこみどころは満載で、Guérandeは記者みたいなことをほとんどしていないようだし、警察はあまりに間抜けでなにもしていないようだし、悪い奴らもいちいち催眠術かけたり麻酔したり針仕込んだりしてないですぐに殺しちゃえばいいのに、とか。

でも本作で見るべきはやはりそこではなく、そうやって地下・地中で蠢いてやまない悪への渇望 – なんで悪いことをしちゃいけないのか? - をそこらの路上とかドアの向こうから突然にやってくるもの – そして突然暴力的に日々の均衡や安定を壊すものとして描いて暴いてしまったあたりではないだろうか。(やっちまえ! のやりくちが映像として街中に広がっていく)

結局、ヴァンピールとは何だったのか、何を起源として、そこにどんなルールがあって、何がメンバーを惹きつけて集めるのか、なにひとつ明らかにされていない、けど、リーダーが替わってもみんな楽しそうに宴とかやっているし。Mazametteだって最初は生活のために入っていたし、これなら加わっておいてもいいんじゃないか、というような秘密結社のありよう。

その反対側の、正義の味方っぽいGuérandeとMazametteもなんのためにやっているのか、見返りとかあまりなさそう(アメリカのお金持ちから棚ぼたはあったけど。Guérandeはいつの間にか婚約したりしてるけど)だし、その割には絶えず危険に晒されるし、シリーズ全体を通してみれば、どうみても悪の道に誘っているようにしかー。

あと、Irma Vep = Musidoraのなんとも言えない魅力については、明日の日仏で『ドン・カルロスのために』を見てから改めて。

こういうの、映画館でエンドレスで流し続けてくれて、ふらっと入って見たいとこ見て、さっと抜けたりできたら最高なのになー。
 

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