4.20.2023

[film] Tori et Lokita (2022)

4月14日、金曜日の晩、ヒューマントラストシネマ有楽町で見ました。『トリとロキタ』。

作・監督はJean-Pierre DardenneとLuc Dardenne。カンヌの常連で、これも2022年の75th Anniversary Prizeというのを受賞しているのだが、そういう大作のかんじは見事にない。

Dardenne 兄弟による子供が出てくる(出てこなくても、だけど)ドラマは見ていて辛いところも多々あるのだが、そこに感傷とかかわいそう、とかあまりないし、彼らが見せようとしている先に情感や共感のようなものが追ってくることはないし、このテーマなら見るべき、と思うので。88分、これが120分だったらしんどいかも。

ベナンからベルギーにやってきたTori (Pablo Schils)とカメルーンから来たLokita (Joely Mbundu)がいて、ふたりは「姉」「弟」として移民を収容する施設に暮らしながら、Lokitaは滞在許可 – 就労ビザを取得するために延々と続く役人からの尋問に答えていく。 Toriがあなたの弟であるという証拠は? と問われても答えにつまり、そうするとまた審理は自動で延期、とされてしまう。この冒頭のやりとりだけでも、日本の人管での差別・虐待を思い起こさせてくれて、彼らは自分たちの仕事をこなしているだけで、やましいことをしていないのであればすんなり答えられるはずだ、自分たちの応対に誤りはない云々と返すあれが..

こうして(ビザがないので)きちんとした仕事に就くことができないふたりは、イタリア料理屋の表では歌を歌ったりのバイトをしつつ、裏ではシェフがやっているドラッグの運び屋の下請け(デリバリーと集金)をしている。Lokitaは更に故郷の母親への仕送りがあり、更には自分を運んだ移民ブローカーへの支払い/取り立てへの対応もあり、毎日がぎりぎりで逃げようがなくて、でも弁護士にそんなのがばれたら滞在許可なんてもってのほか、って止めさせられるに決まっているので言えなくて、闇で黙って我慢してひたすらお金を稼ぐしかない、Lokitaのその我慢と事情はToriにも十分わかっているので手伝おうとするが、LokitaはToriに汚れた仕事をさせない。あなたは学校で好きな絵を描いていればいいの、って母親のようにいう。

いよいよ首が回らなくなってきたLokitaにつけこんで悪い奴らから更によい収入が得られるらやるよな? って話がきて、渋々乗ると車で山奥のどこかに運ばれて、厳重に施錠された温室のような建物に幽閉されると、それは大麻を育てているプラントで、衣食住に耳栓まで用意されてそこで3カ月間暮らして、大麻の面倒をみるように、って携帯のSIMを取りあげられてしまう。(ひどい..)

やがてLokitaのいる施設に向かう運び屋の車に忍びこんだToriが建物の屋根や隙間から中に入ってなんとかLokitaと再会することができて抱擁するのだが、外に人が来たので隠れて逃げようとして、捕まって、でもぶん殴って倒してなんとか外に出るのだが…

大括りでの移民 - 保護を求めて命がけで渡ってきた彼らなのに、そうやって外からやってきたものはその国の正規の仕組みの中に入ることを許されず、結果として逃れようのない闇のシステム – なにをやっても犯罪者 - に身を置くしかなくなる、という昔から指摘されているEUの腐った諸事情をとにかくかわいそうで救われることのなかった姉弟のケースを取りあげて描く。金持ちがドラッグで気持ちよくなるために安い賃金で彼らが買われ、結果的に犯罪者として社会の隅に追われて、結果的に市場経済がまわる - 犯罪組織と地続きの政府、という構造。

「可視化」なんてやらしい言葉を使わなくても見えているのに見えないふりをしているだけで、彼ら姉弟はずっとそこにいるのだ、って、“Lokita!”っていう姉を呼ぶToriの突き刺すような声が訴える。

映画としては情感を盛りあげるようなところは一切なく、ひたすら走ったり飛び越えたり歌ったりするToriと、祈るように目を伏せて身をすくませるばかりのLokitaの、姉弟ではないけど互いの名を呼んで手を差し伸べあう姿と、彼らを待ち伏せしたり追ったりする闇世界の大人たちのどうでもいい姿を重ねるだけで、ものすごくあっさり、情感に訴える音楽も、痛ましい別れも涙もなく、ぶっきらぼうに(そこに怒りが)重ねていく怖さがある。Ken Loachの描くきつさの方がまだ希望や暖かさがありそうな。

そしてとりあえず入管に対して怒りをー、はまず来るから。

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