4.11.2023

[film] Living (2022)

4月5日、水曜日の晩、109シネマズ二子玉川で見ました。邦題は『生きる LIVING』。

黒澤明の『生きる』(1952) - 黒澤明 - 橋本忍 - 小國英雄による脚本をKazuo Ishiguroが脚色し、Oliver Hermanusが監督した。すばらしいコスチュームは(やはり)Sandy Powellさん。

志村喬主演による『生きる』は見ていない。あのブランコのスチール写真がなんかかわいそうすぎて... 同様に『七人の侍』も見ていないの - 「侍」とかだいっ嫌いだから。そのうち時間があったら見よう、とか思っているうちに『生きる』と同じくらいの年頃になってる…

1953年、ロンドン(郡)のお役所に新たに勤務するPeter (Alex Sharp)の朝の通勤風景から始まる。駅には同じ課の同僚や上司が揃っていて(げろげろ)、紳士の挨拶をして(禁冗談)一緒に通勤電車に乗り込み、次くらいの駅には上司で課長のWilliams氏 (Bill Nighy) – 誰も彼をファーストネームでは呼ばない – がいて、彼も同じ電車に乗り込んでくるのだが下々の輪に加わることはない。

職場に着いてからもPeterの目でお仕事の様子が紹介され、児童向けの公園を作ってほしいという嘆願書を持ってきてたらい回しにされている女性3人の相手を通して極めてインギンブレイなお役所仕草 - 書類を山の上に上乗せして「影響はあるまい」とか、を目にする。

そんなある日、Williams氏が会社を早退して医者に行くと検査した結果、よくなくてあと半年、とあっさり告げられ、彼もそれをあっさり受けるのだが、その晩、同居している息子夫婦 - 彼らからも疎まれている – にはそれを言うことができず、翌日会社を無断欠勤して海辺のリゾート地に向かい、不眠症でくだを巻いていた作家のMr. Sutherland (Tom Burke)に持っていた大量の睡眠薬をあげて、貯金もおろしてきたことを告げると、Sutherlandは彼を夜の街に連れていってへべれけにして、Williams氏は「ナナカマドの木 – “The Rowan Tree” (1822)」をひとりで歌ったりする。

ロンドンに戻った彼は、自分の職場にいてレストランに転職するからやめると言っていたMiss Harris (Aimee Lou Wood)に会って、彼女からみんなあなたのことを"Mr. Zombie"って呼んでいたのに、ほんとは気さくな方だったんですね、とか言われ、それでも推薦状を書いてあげたり、Fortnum & Masonで食事したり、映画の日にCary Grantの出ている”I Was a Male War Bride” (1949)を見にいったり(いいなー)するのだが、それを目撃した近所の人が義理の娘に告げ口して、「義父さんになんか言ってよ恥ずかしい」と言われた息子はそれを言い出せず、反対側の父の方も自分の病気のことを言い出すことができない。

もうひとつ、たらい回しの棚上げで放置していた児童公園の件も、突然先頭に立って部署間交渉とかを始めて、雨がひどくても現場にいくぞ! ってかっこよく決めたところで場面は突然Williams氏の葬儀に切り替わってしまう。

葬儀の場で、彼の息子はなんで自分の病状について家族に言わなかったのだろう? ってMiss Harrisに問うの。(そりゃあんたらがそんなだから…)

Williams氏がいなくなった職場は暫くすると元のコトナカレに戻り、その様子を見て辛くなったPeterは彼に遺された氏からの手紙を読んで、彼の作った公園に行くと彼が亡くなった晩、そこに居合わせた警官がどんなだったのかを…

昨今の巷に溢れている難病モノではあるのだが、家族を含めて当事者たちの苦悩はほぼ描かれないし、「死」は葬儀の場面以外きれいに回避されていて - この点でも”Living”の映画 - Bill Nighyはいつもの鳥のような佇まいをずっと崩さない – ので辛く悲しいトーンはない。むしろ宣告を受けた後の彼の振る舞いのみを描くことで、その前のゾンビだった彼はどこかに消えてしまう。それ故にこそ最後のなぜ? と 彼は幸せだったのだろうか? が活きる。その答えがあるとしたら、そんなの気にしないであなたの生を生きなされ、でよくて。そういうところも含めて明るい映画なのだと思った。

もういっこ、オリジナルの「生きる」は公開された1952年当時の世の中をそのまま描いているのに対して、こっちのは2022年から1953年を – 約70年前の英国を振り返るかたちでフィルムのテクニカラーぽい色味からタイトルから当時の街角の様子から”The End”まで、あの当時ならありえたかもしれない生のあった場所を人工的に造形していて、それは決定的に届かないところに行ってしまった何か、なのではないか、と。

今、末期ガンが見つかったら家族も含めた対応方針のディスカッションがあるだろうし、それで会社を無断欠勤したら追跡されるだろうし、そもそも仕事をあんなふうに棚上げしておくのだって許されないし – などを思い、あーあ、ってなった。自分があと半年って言われたら、やっぱり海のほうに向かうか海の向こうに行くかだなー、もう会社に行くのはやめちゃうなー、そうなったら映画館に行くかなあ(たぶん行かない)、などなど好き勝手に。でもそろそろ。

Bill Nighy、死に向かう毅然とした態度を描く、というところだと“About Time” (2013)があって、これはほんとうに悲しくて泣いてしまうのだが、今度のはそんなでもなくて、その辺うまいなー。

闇の向こうから酔っぱらったWilliams氏が現れるところとか、ホラー映画のようにも見えたので、Bill NighyとAimee Lou Woodのふたりで“I Walked with a Zombie” (1943)のパロディをやってほしいかも。

あと、酔いどれ作家を演じたTom Burke、”The Souvenir” (2019)でも同様の毒男をやっていたがすごくよいな、って思った。
 

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