1.19.2023

[film] Harlan County U.S.A. (1976)

1月8日、日曜日の夕方、国立映画アーカイブの特集『アカデミー・フィルム・アーカイブ映画コレクション』で見ました。アカデミー・フィルム・アーカイブ(AFA)っていうのは米国映画芸術科学アカデミーの映画保存機関、だそうで今回上映される23プログラム - 35本、見るしかないのがいっぱいなので見るけど、今作みたいな歴史的なドキュメンタリーは、もっといっぱいいろんなところで見れるようにならないか。

昔の映画関係でいうと、今MoMAでやっている(毎年やっている)”To Save and Project: The MoMA International Festival of Film Preservation”で紹介された復刻したてのぴかぴかの古典たちを時間ずれてもよいので、見たいよう。

ケンタッキー州ハーラン郡のDuke Power Company社が所有するブルックサイド鉱山で180人の炭鉱労働者と妻たちが賃金や労働環境の向上を求めストライキを起こす。始めの方でどんな労働環境なのかも描かれて、それは『わが谷は緑なりき』(1941) – この舞台はウェールズだけど – で知られるそれとそんなに変わっていないように見える(くらいひどい)。

製作・監督のBarbara Koppleはカメラマンと一緒に現地に乗りこんで、はじめはUMWA (United Mine Workers of America)の会長Tony Boyleを引きずり下ろすドキュメンタリーを作ろうとしていたらしいが、現地の様子を見てストの真っただ中にスタッフごと突っこんでいくことになる。

ストをする側 - 労働者やそのグループやその家族 - へのインタビューや彼らの歌って抵抗する姿、その反対側でスト破りをしようとする側の暴力性、相手の経営陣の嘘くささ/きな臭さをストレートに示す。というか、単にカメラに写されただけなのだろうが、車のなかで銃を隠したり銃を隠して車から降りてくる連中の目つき、仕草や歩き方が、いろんなやくざ映画で見てきたそれそのままのやばいかんじで撮影中も難癖つけられたり、逃げるか留まるか、引きつるしかない。そういうはらはらのおもしろさ - というべきではないかもだけど - に前のめりで巻きこまれてしまう。

そして、なので、これはストを決行する側も、撮っている側も含めて命がけの真剣な活動で、後半では人が殺されるし逮捕劇もあるし、それがこういう形で纏まって公開されてアカデミー賞まで獲ってしまったのだから、正しいことの追及は報われるのだと思いたい。

土地の名前が入ったドキュメンタリー、というと、アメリカならFrederick Wisemanの”In Jackson Heights” (2015)とか、“Monrovia, Indiana” (2018)とか日本だと「水俣」のシリーズとか『不知火海』(1975)は? 小川紳助の「三里塚」のシリーズ? 『鉄西区』は? 国名まで入ったのとなると、『ニッポン国 古屋敷村』(1982)とか。(まだありそう) 今作では”U.S.A.”って - 国という箍が入っていることがおそらく重要で、同じくアカデミー賞を獲っているLee Grantの“Down and Out in America” (1986) - 2020年4月にFilm ForumのVirtualでみた - も必見だと思う。

土地の固有名の件がひとつ、そしてここにあった炭鉱ものって、今作のなかでも各地からの連帯模様が描かれたり、英国の炭鉱ストのドキュメンタリーなんか、レコ屋に行くとストを讃えるフォトブックや連帯のステッカーを売っていたりするし、これが最後の奴隷労働なのか、というかんじもあるが、他にもサプライチェーンの端っこの物流とか廃棄産業とか、未だにいろんな様態のがあることはいろんなドキュメンタリーが曝しているし、今だって英国NHSがストをしているし、敵側も巧妙になって冷笑したり揶揄ったりのすごく卑怯で嫌な流れもいっぱい出てきたし。世界はちっともよくなっていかないねえ..(嘆)


バーバラ・ハマー初期作品集

1月5日、木曜日 - 仕事始めの日の夕方に見ました。Barbara Hammerの初期、といったってそもそも我々はBarbara Hammerのことをちゃんと知っているのか、というのはある。

上映されたのは短編/中編6本 - “Sisters!” (1973) 8分 - “Menses” (1974) 3分 - “Jane Brakhage” (1974) 10分 - “Superdyke” (1975) 17分 - “Double Strength” (1978) 15分 - “Audience” (1982) 33分。どれもおもしろいのだが、後半の3本は女性映画としても必修のやつではないか。

彼女が2019年に亡くなった後にCriterion Channelで小特集があったりして、その時に”Audience”などは見ていたことを思いだした。

映画が、アートが、世界の新しい(オルタナとかいう?)見方とか、見たことがないものを示してくれるものであるものだとしたら、彼女の作品群というのはまさにそういうもので、レズビアンやフェミニズムやクィアの視座がとらえた世界の断面とか局部とはこんなふうだ – 見ろ! - というのを50年前には実際どうだったのか、という点も含めて持ちこんだ。新しい道具・武器・装備のように、あるいはファンタジーのように。

こういうのって、どうせ見ないやつは拷問したって見ないだろうから、こっちで勝手に撮ったり見たりするから見るよ、でよいのだ - というのが”Audience”を見るとわかるし。

彼女の作品とかをワールドカップをやっているスタジアムのでっかいスクリーンに流してみて、なにが起こるのかを見たい。

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