1.08.2023

[film] にわのすなば GARDEN SANDBOX (2022)

12月28日の夕方、ポレポレ東中野で見ました。
映画のプロデュースをしている多摩の方にあるキノコヤは、昨年の6月に(この映画にも出ている)遠山純生さんと上島春彦さんのトークイベント - とても勉強になった - で行って、あー『春原さんのうた』にでてきた場所だ、て思ったらこの映画にも出てくる(川口とのマルチバース設定)。

同じ監督による『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』(2016)も公開時に見ておもしろかった、というか、映画が別の知らない世界に誘ってくれるものであるとしたらそれはこんな形で組み立てて示すことができるものなのか、という発見 - それは欧米の未知の土地を知るのとは異なるルートで - があって、ヴィレッジの上にヴィレッジがある、という建て付けは今作でも同じなのか、「にわ」という囲われた領地のなかに「すなば」という遊んでよい陣地が用意されている - “Sandbox”というのはITだと好きに設定を変えたりどんなことをやっても構わない環境のことで、映画の舞台となる土地 - 十函(とばこ) - 10 BOXES に呼応しているのだろうか。(地理に弱いのでこの地名が本当にあるのか念のため探してみた。なかった)

パンフレットの付録についてきたシナリオには『臨時雇いの娘(仮)』原案 山形育弘「relocate」とあって、タイトルが動き→ひと→場所、のように変わっていったことが伺えるのだが、それがすなばの、砂遊びの盛って運んで崩して、のえんえん終わらないかんじにうまくはまっている。

ストーリーはあってないようなあれで、主人公と思われるサカグチ(カワシママリノ)がタウン誌の編集をしているらしいタノ(柴田千紘)に映像作家として「十函愛」に溢れた作品を撮ってほしいと前世紀のようなことを言われて、別にそんな愛ないし映像作家でもないし、と思いながらキタガワ(新谷和輝)とかヨシノ(村上由規乃)とかアワヅ(西山真来)とかカノウ(佐伯美波)といった役割もキャラクターもぼんやりした - 誰一人ほんとうぽくない - 蜻蛉のような住民? なのかもわからない人達と会って、はあ - はあ ってあちこちに引っ張り回されて、最後は彼らが「フェス」とよぶところの路地ばたでの呑み会でダンスをしておわる。

どこから見ても怪しい中高年たち - 風祭ゆきとか、怪しい男(遠山純生)から受け取ったグミを噛んだら(ふつうそんなのぜったい噛まないだろ)みたいな場面もあるが、ほぼなにも起こらないし、なにも明らかにされない。そこは鋳物工場のある町らしいので古に十個作られた魔法の函 - 全部揃ったらなんかでてくる - あたりでもやってみればよいのに。ぜったいあの町のどこか - 川縁とか橋の下には死体が転がっていたり棄てられていたりする、そんな気配ばかりを映しだしていながらそういう冒険とか探索みたいのからみんな程遠い顔をしている。どいつもこいつも酔っぱらっているとしかー。

スクリューボールの巻き込まれ系でもなくて、上映後のトークで監督はジェリー・ルイスやジャック・タチのようにピンが転がっていく系のスラップスティックを志向した、と語っていた(ように思う)のだが、トークの相手の田村千穂さんはそういうのを横において否応なしに滲んでくる「悲しみ」について触れていて、うん、「悲しみ」は確かにあると思った。 主人公が真横を向いているメインのポスターは、正面から捕えるときっと泣いているように見えてしまうからではないか。

それはもう、こんな世界に疲れきってこんなのもうやだというあれなのか、そこを更に掘っていくと地図の外にはいけない/出れない、ということなのか、なにひとつ起こりそうにない平坦な時間軸のことなのか、なにをどうしても美、のようなもののから切り離されてある死体のようなかんじのことなのか、”Passion” (1982)のミリアム・ルーセルがもっていた「悲しみ」が吹いてくるかんじはすごくよくわかるので、まだぼーっと考えている。これ、女性と男性とでは受けとる印象が異なるのではないかしら。

もう一回見たほうがよいのかも。

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