1.13.2023

[film] César (1936) +

12月30日にシネマヴェーラの特集『ヌーヴェル・ヴァーグ前夜』で見ました。

作・監督はMarcel Pagnol。
Marcel Pagnolの書いたマルセイユ三部作 "Fanny Trilogy” - 一作目が”Marius” (1931): 監督はAlexander Korda、二作目が”Fanny” (1932): 監督はMarc Allégret、この二作は舞台用の戯曲として書かれ、最後の一篇となったこの”César”だけは最初から映画用の脚本として書かれたそう。

冒頭、死の床にあるHonoré Panisse (Charpin)が妻や子供たちに見守られて穏やかに亡くなろうとしていて、みんな悲しむのだが、やってきたお坊さんにそこにいる息子 - Césariotの本当の父はそこのバーのオーナーのCésarの息子のMariusなのだ、っていきなりそんなこと言われても - なことを言い残していってしまう。

Mariusはやくざ者で家を出て周囲の評判も悪くて幼馴染のFannyと一緒になって、という過去のあれこれをCésarとCésariotがひとつひとつ解していって、実はな.. みたいな真相が明らかになる。

あんたの本当の父ちゃんは、母ちゃんは、実の子は、これじゃなくてあれだった、いろいろ事情があって苦労かけてすまなかった... って捩れた糸がはらはらと戻ってよかったねえ、になるお話 - チラシにあった「昭和の喜劇人に多大な影響を与えた」というのがよくわかる。

ヌーヴェル・ヴァーグの人たちはこの捩れ~解しのマジック/方程式をてんでばらばらの偶然性とばくちのなかに溶かしこんで散らした - リベットとか?  - ということでよいのかしら。

でもそんなことよりも、Alice Watersのレストラン”Chez Panisse”の名前はこの三部作のPanisse家から来た、というトリヴィアの方にびっくりした。


La poison (1951)


12月31日、シネマヴェーラで、今年見た最後の1本となった。

邦題は『毒薬』(他に『我慢ならない女』っていうのも出てくるけど、これはダメよねー)。英語題は”Poison”。

冒頭、監督のSacha Guitryが主演のMichel Simonを隣に座らせて本人に向けた献辞を記した本を手渡して、それだけではなくて他のキャストやスタッフもぜんぶカメラの前で紹介していって、そんなに心温まる映画なのかと思っているとなかなかとんでもないところに落ちる。

PaulとBlandineの夫婦は結婚して30年になり、でもここんとこずっと互いに憎みあっていいかげん死ねばいいのに、とか思ってて、アルコールに溺れる妻は薬局に殺鼠剤を買いに行って、夫は妻を殺しても無罪を勝ち取る方法を算段して、運命の晩、毒とナイフ対決の差し違えるような一瞬のあと、Blandineは倒れてなくなり、妻を殺したPaulの裁判になる。

裁判ではBlandineの方に殺意があったことが明らかになれば.. Paulのもんで、その辺を結構さくさく進めて無罪となったPaulは勝ったぞー! ってみんなに向かって吠えると村人衆は喝采して、彼はまるでヒーローみたいな扱いになってしまうのだった。

主人公たちの内面とか心の闇に踏みこまずに彼らの言ったことやったこと、その演技を追っていくとこうなっちゃうのよね、というのがタネも仕掛けもなく極めてストレートに晒されて非情で問答無用で、これって(いくら彼のために作ったとはいえ)Michel Simonひとりが突出したってだめで、やはり全体のDirectionなのよねー、って。 こういうとこも含めてSacha Guitryおそるべし。


Casque d'or (1952)

1月2日の昼間、シネマヴェーラで見ました。今年の2本め。
邦題は『肉体の冠』、直訳すると"Golden Helmet"だが、英語題も”Casque d'or”そのまま(なやつをBFIで見たよ)。

監督はJacques Becker、1898年に実際にパリの闇社会で起こった事件を元にしていると。

ブリリアントな金髪の巻きあがった髪をもつMarie (Simone Signoret)が大工のGeorges (Serge Reggiani)と出会ってときめいて、でも地元やくざに囲われていたMarieは動けなくて、因縁つけてきたちんぴらを喧嘩で刺し殺してしまったGeorgeはボスに気に入られて組に誘われるのだが、その申し出を拒否したので警察からも追われることになり、Marieと田舎に逃げるのだが..

ふたりが最初に出会うのが昼間の屋外のレストランだし、ふたりが逃避行して幸せなひと時を過ごす先も陽光あふれる田舎の家で、こういう話につきものの夜の、ノワールの雰囲気はあまりない。Marieの黄金の髪の毛が日の光と共に燃えあがる朝と昼のドラマで、彼女のずばらしい頭部をめぐる昼間の恋人たちと夜のやくざたちとの対決は、昼の方の男の首がとんでおわる。

Jean Renoirの“Partie de campagne” (1946) -『ピクニック』で助監督を務めたJacques Beckerは裏返しでこういうのを狙っていたのではないか。あと、この1952年は”Le carrosse d'or”-『黄金の馬車』もあって、とても眩しくすごい年だったに違いない。

まあとにかく、Simone Signoretの上半分の匂いたつとしか言いようがない肉と髪と服が絡みあって人間とは思えない質感とその震えとかがそこに現れるの、それを見るだけで、2000円のDior展よか断然お得でご利益たっぷりのように思われてー。

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