1.15.2023

[film] 子猫をお願い (2001)

1月4日の夕方、ユーロスペースで見ました。4Kリマスター版で、2004年の日本公開時には異国にいて見ていなかったので初めて見た。
原題は”고양이를 부탁해”。英語題は”Take care of my cat”。
現在『猫たちのアパートメント』(2022) が公開中のチョン・ジェウン監督の長編デビュー作。

冒頭、埠頭のある町で高校生の仲良し5人組がはしゃいで重なりあい記念になるのかならないのか互いに写真を撮りあったりしている。世界中のどこでも見ることができる光景。

そこから少し時が過ぎて、社会に出てかつての絆で結ばれた友人同士ではなくなった5人がいる。 家業のサウナ屋を手伝いながらボランティアで脳性まひの男性の書く詩をタイプしているテヒ(ペ・ドゥナ)、祖父母と崩れそうな家に暮らしながらテキスタイルデザイナーになりたくて絵を描いたりしていて、でも職を見つけることもできずにこの先どうしたらよいのかわからずぽつんとしているジヨン(オク・チヨン)、コネで証券会社に入ってちょろいもんよ、って意気揚々なのだが実際にはお茶くみやコピー取りばかりでうんざり - で買い物系に突っ走るヘジュ(イ・ヨウォン)、得体の知れない露天商のようなことをやっている双子のピリュ(イ・ウンシル)とオンジョ(イ・ウンジュ)は心配になるくらいいつも朗らかだし、そんな5人の行く道も、特別なものとは思えない。

べつになんの誓いも約束もしたわけではないし、「社会に出る」ことで得られるもの失われるものあって当たり前だし、友達でもそうでなくてもずっとおなじ関係なんて維持できるわけがないし、誰もが革命を夢見たりせずにこんなもん、として日々をやり過ごしつつ、たまに思い出したように携帯で連絡を取りあって、そこでタイプされるデジタルの文字が画面に表示されて - チャットなんて密で即時なやつはまだないのでいちいちメールとなって空中を飛んでいく、そんな毎日。今ならきっとSNSが入ってくる。

そんなでも、テヒはちょっと元気がないジヨンのこととか、あんなに仲のよかったヘジュとジヨンが互いに避けあっているように見えるのが気になっていて、でもそんなことよりも自分の周りを見なよ、とかぐるぐる回っていく。

ジヨンはある日、挟まるようにそこにいた子猫を拾って、ティティと名づけて世話をするようになる。ここでも、子猫のケアよりまず自分のケアだろ、って言う人は言うのかもしれないが、そういう話 - 子猫の世話によってジヨンが変わるとか救われるとか - ではないの。

終わりの方で、ジヨンの住んでいたアパートが崩落して、祖父母がその下敷になって亡くなってしまうのだが、ジヨンは一切の供述を拒んで自ら刑務所に入ってしまう。変わっていく友人達の話と、消えていく家族の話と、現れた子猫の話と、てんでばらばらで、そこにロメールの教訓のようなものがあるかというとやはり全くなくて、これはただ流れていく、遷ろっていくひと塊の人々をとらえた作品 - 成瀬の『流れる』(1956) みたいなやつなのではないか。

あとは、こないだの『猫たちのアパートメント』(2022)にもあったような距離のとり方。取り壊される団地に取り残される猫たちを保護したり救ったり移したり、でも決して猫に寄り添ったり猫のためを思ったり、じゃない、変わりゆく景色にちらちら見え隠れする猫の背中と尻尾を追って、入ってきたら運ぶけど逃げるなら追わない、でもそばにいるからね、って。 だって少しだけかも知れないけど、一緒に遊んだりしたじゃん。

風景が、町が、ひとがそんなに変わらなければ、こんなことは起きなかった、こんなことにはならなかった - のかもしれない。けど、それは言ってもしょうがない、というのなら、わたしにできることはだな… ってだらだら町を徘徊していこうよ、野良猫みたいに/野良猫なんだし、って。

いやでも、本当のとこ、あの子猫がこいつらをなんとかせんと… って降りたったのだと思うわ。

そして、そんな子猫が街角に溢れかえっていて、”Take care of…” なんていうのからちょっと離れて「とにかく呑んで話そう」になってごろごろしてしまう不思議な世界がホン・サンス、なのではないだろうか。

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