10.26.2022

[film] Un soupçon d'amour (2020)

10月16日、日曜日の夕方、ユーロスペースの第4回映画批評月間で見ました。
Paul Vecchialiによる『愛の疑問』 - これには「ほんの少しの愛」という意味もあるそう。
冒頭、ダグラス・サークに捧ぐ、と出る。

有名な舞台女優のGeneviève Garland (Marianne Basler)と夫でやはり俳優のAndré (Jean-Philippe Puymartin)がラシーヌの悲劇『アンドロマック』のリハーサルをしていて、でもなにか気にかかって集中できないようなので、途中でGenevièveは役を降りて、友人の俳優でAndréの愛人であるIsabelle (Fabienne Babe)に役を譲ってしまう。

いきなり大役を振られたIsabelleはAndréとのこともあるし、演出家ともいろいろあったようなので当てつけじゃないか、とかあなたと比べられたらレビューは散々になる、とかいろいろ取り乱すのだが、Genevièveは割りとあっさり落ち着いて割り切って、病弱な息子のJérôme (Ferdinand Leclère)を連れて自分の生まれ育った田舎の家に行く、と言って夫からも離れてしまう。

田舎にやってきたGenevièveはJérômeの薬を探していくうち地元の薬剤師と知り合ったり、自分の家の墓を探して司祭のところに行ったり、昔の同窓生と会ったり、いろんな出会いがあるのだが、それらが最後の最後に..

演劇(古典悲劇)の世界に生きてきた女優が役のなかの会話や受難で受けてきたあれこれを経由して(どんなふうにその世界を受けとめてきたのか、は示されない)、そこから更に自分の生を生きようとしたときに、どんなことが待ち構えていたりするのか、それは別の新たな生になったりするのか、生きなおしだったりするのか、など。

『愛の疑問』、というときの「愛」がいったいどこにどんなふうにあったものなのか、等も含めて、その切り口はなにが飛び出してくるのかわからない新鮮さと共に謎めいてあって、それが最後に鮮やかに、一瞬で反転する。 こないだの『彼女のいない部屋』にも繋がるような苦悩を、愛を語っていたのは誰なのか?

そういえば、ジャック・リヴェットの『狂気の愛』(1969)でも、『アンドロマック』のリハーサル現場を中心に置いて物語が動いていった。「リハーサル」ってそもそもなんなのかしら? とか。


Don Juan (2022)

10月18日、火曜日の夕方、ユーロスペースの第4回映画批評月間で見ました。
Serge Bozonの監督作品で、今年のカンヌにも出品されている。

へなちょこ系のミュージカル – そんなに歌が強く真ん中に割り込んでくるわけではないけど、突然歌いだしたりする - で、↑のにもそういうところはあって、エモが極まって歌になって溢れる、というよりエモが転調したりしないとやってられない(→ ごまかす)かんじになるとか、それを握っている運命か何かに押されて歌がでる - というか。

俳優のLaurent (Tahar Rahim)は市庁舎での結婚の披露宴の席で、花嫁のJulie (Virginie Efira)に逃げられて(待っても現れない) - ドレス姿の彼女は近くのバーに入って「歌を聴かせて」と呟いたまま立ち尽くす - がーん、てなって、ようやく、なんとか傷も癒えて回復した頃、グランヴィルの海辺の劇場で行われるモリエールの”Dom Juan ou le Festin de Pierre” -『ドン・ジュアン、またの名を石像の宴』のリハーサルに入る。芝居の演出家は(なんと!)Jehnny Bethさんで、Laurentには手慣れた役だったのだが、相手役の新人ぽい女性には難しかったのかがたがたに崩れていって降板して、そこで新たにキャスティングされたのがよりによってJulieだった…

基本は、Don Juan気取りと態度であんま深く考えずに次々に軽く女性に声を掛けていくLaurent – でもちっともかっこよく見えないの - が始めから終わりまで相手からふられて痛い目に遭い続けてぼこぼこにされていく – でもちっともかわいそうに見えないいい気味よー、なところが何故か素敵で、それはどうしてなのかと考える。

あと、バーでピアノを弾いて歌う老人 - Alain Chamfort – “L’homme tranquille”という役柄 – がいて、彼はLaurentを見つけてピアノを弾き、歌を唄いながら傍に寄ってきて、自分は彼に失恋して自殺した娘の父である、と告げる。

声をかける宿命にある(と思われる)Don Juanの恋が実ることは決してないように世界はできていて、痣だらけで血だらけになってどんより苦しんで恋なんて碌なもんじゃないな、って言いつつ、それでもなんで人は出会って恋を語って歌おうとするのか – わからんわ - って(見ているこっちも)

海辺のステージとか光景がすばらしくどっしりかっこよく撮られていて、えせミュージカルっぽく見えないところも素敵なの。

この2本て、バックステージものと言えるのか。バックステージにこそ人生がある、とかいうのではなく、メインのステージとか劇のありようがはっきりと登場人物たちの人生を操って粉々にしにきているような。なにもかもすばらしいとは言えなくなっているのかも知れないが、太古から演劇が日々の会話とかベソとかビンタにもたらしてきた何かって確かにあって、その意味とか効能って変わってきているのかいないのか。サークやギトリのメロドラマやコメディとの間でならどうなのか。こんなドラマが成立して通用するのはフランス人だけではないのか、などなど。

でもおもしろいったらない、ことは確か。

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