10.27.2022

[film] Crash (1996)

10月19日、水曜日の晩、菊川のStrangerで見ました。4K無修正版。
David CronenbergがJ. G. Ballardの同名小説 (1973)を映画化したもので、カンヌで審査員特別賞を受賞している。

基本、血とか暴力とかおっかないのは見れないのでここまで見ないままで来たのだが、Cronenberg作品は”A History of Violence” (2005)のあたりから見ることができるようになっていて、こないだの”Crimes of the Future”だって見れたし、遠い親戚ぽい”Titane” (2021)だって見れたのだから、だいじょうぶではないか、と。耐えられなくなったら目を瞑れば、って。

James Ballard (James Spader)と妻のCatherine (Deborah Kara Unger)は仲は悪くないもののふつうのやりかた(って?)ではどちらも性的に興奮できなくなっていて、冒頭、Catherineはプロペラ機の機体表面に欲情したりしている。ある晩、車で帰宅中のJamesが正面衝突の事故にあって、相手の運転席の男は即死で、助手席にいたDr. Helen Remington (Holly Hunter)は傷を負って朦朧とした状態でJamesに乳房を見せてみたりする。

Helenと共に入院したJamesは病院で興奮しながら傷口の写真を撮ったりしているDr. Robert Vaughan (Elias Koteas)と出会い、彼を通して交通事故写真やダミーを使った車の安全性テストのビデオを見たり、事故の様子を話したりして興奮して悶えまくる交通事故フェチのグループに加わり、Vaughanが主宰するJames Deanの交通事故をリアル再現するイベントを見たりして、段々とその世界にはまっていく。

車と事故とセックスがクラッシュしたその先にある未開拓の快楽に目覚めてからは、それを追求すべく走行中に事故を起こそうとしたり起こしたり、事故に遭遇したり - グループで話していたJayne Mansfieldの事故再現(犬込み)をやられてしまって大惨事で死人も出る – とにかく快楽の追求とか実行後の興奮にまみれるようになり、そうなると相手が誰であろうと車と傷と相手がいれば相手が誰でも同性でも絡みあう。まるで機械に巻きこまれて抜けなくなっていくかのようで、当然リスクはものすごく高いので次々に死人も出るし、でもそういう事態の只中で最後にようやく - 意識朦朧の状態でJamesとCatherineは結ばれる(たぶん)。

フェチの世界の話なので、なんでそこにそんなに惹かれてしまうのかについてはあまり説明されない。ただそれの虜になって命を削って追い求めるようになって、実際に簡単に命がとんでいくような危険なやつなので、亡くなっていく人もいっぱいで、それだけのことよ、と。 そういう人々の視野に寄っていくことで、彼らが快楽として求めているもののイメージとか、それってそんなにかけ離れた変態の域の話でもないかもとか、この磁場に絡めとられていく過程などがわかってきて、そこにあまり違和感はない – ように見えてしまうところが実は劇薬で、カンヌでも物議を醸したところなのだろう。たんに人を斬ったり殴られたりして血がでて痛い、のではなく、車という自分たちが利便性を求めて開発した金属の機器によって自分たちの身体の自由が奪われたり傷つけられたり歪められたりする、そこには直截的な意思のようなものも善悪の倫理もなく、メカニカルに物理的に金属の部品や塊が駆動した結果としてそれは起こって、あとはそこにぱっくりと現れるであろう肉の傷口とか痛みとか朦朧とした感覚をどう見るか。痛覚については、それが自分のものである(他者に飛ばしたり広げたりしない)限りにおいて快とするか不快とするかは好きに勝手でよろしいので、やってれば、と。

そしてこれが同好者たちの間で閉じた世界の話なら別によいのだが、でっかい事故における痛覚って自分だけのものにはならずに周囲にいた人たちも痛かったりすることも多いので、この辺だけは取り扱い注意なのかも、って。

自動車が登場した頃、高速で滑るように突っ走る快楽に多くの人が痺れて車を手に入れたのと同じように、車が飽和状態になった社会において、クラッシュによりばらばらに砕け散る車体や身体に興奮や快楽を求める人たちが出てきたっておかしくない。車は壊れたら新しいのを生産すればよいだけなので、どっちに行ったってこれはwin-winなのではないか、っていうSF – これはたぶんSFなのだが、なんだかとっても身の回りの近いところでいろいろ考えることができるやつだった。「死とエクスタシー」なんて言うまでもなく、もっとシンプルに「死にたい」「死んじまえ」っていう意識の過剰な発露とか投げ合いであるとか。

あとは、(おそらく問題として)ヴィジュアルとしてなんか異様に美しすぎるところとか、ルックスも端正な白人層ばかりであることとか、これらは意図的なものであろうが、とっても20世紀末だねえ、とか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。