10.16.2022

[film] Je vous salue, Marie (1985)

10月4日、火曜日の晩、Strangerのゴダール特集で見ました。 日曜日にマリコを見て、火曜日にはマリアを見る。

“Passion”のあと、間に”Prénom Carmen” (1983) - 『カルメンという名の女』を挟んでから、(さらに資金集めのための小品を挟んで)この作品。だから『カルメン…』も見たかったのになー。

Le livre de Marie (1985)

Anne-Marie Miévilleによる28分の短編。邦題は『マリアの本』、英語題は”The Book of Mary”。カメラはCaroline Champetierの他に2名(この2名は『こんにちは、マリア』の方でも撮影担当)、サウンドはFrançois Musy。音楽はショパンとマーラー。

湖畔に暮らす11歳のMarie (Rebecca Hampton)が離婚協議を進めるパパ(Bruno Cremer)とママ(Aurore Clément)の間でぬいぐるみをぶん回し、卵を割ったりマーラーで爆踊りしたりしながら、欧州統合なんてやらなくていいのはくっつくくせに、くっついていてほしいパパとママは離れていくっておかしいだろ! って日々の不条理に直面している。 そんなMarieにとって本というのはだなー。

Je vous salue, Marie (1985)

こちらがゴダールの監督による72分の中編。この作品でAnne-Marie Miévilleは編集を担当している。英語題は”Hail Mary”、邦題は『こんにちは、マリア』で、日本ではこの2本を括って『ゴダールのマリア』というタイトルで売っている(のにはずっと違和感を感じている)。

父親のガソリンスタンドでバイトをしながら高校でバスケをやったりしているMarie (Myriem Roussel)がいて、タクシー運転手のJoseph (Thierry Rode)は彼女に惹かれてふらふら近寄っていき、でもJosephには彼を想うJuliette (Juliette Binoche)がいて、そんな時、なぞの大天使Gabriel (Philippe Lacoste)ともう一匹(すてきなコンビ)が現れてMarieに君は懐妊している - やがて生まれる、と告げる。で、そんなバカな、って医者に診てもらっても処女だけど確かに妊娠している、と言われ、実際にMarieのお腹はだんだん丸く大きくなっていくので、魂に肉体が宿ったのだ、などど思うことにして、やがて男の子が生まれる。初めはMarieの妊娠に狂ったようになっていたJosephも受けいれて彼女を見守って一緒に育てていくようになる。その子こそがー。

これと並行してもうひとつ、妻子のある教師 (Johan Leysen)とEva (Anne Gautier)の半ばやけくその恋も描かれて、こんなふうにいろんな魂とか肉とかもあるよ、念のため、と。

『勝手に逃げろ/人生』(1980)で愛と労働と家族の間や周りで散ったり寄ったり轢かれたりしていく人々を描いて、続く”Passion” では男と女、それぞれの愛と労働が「革命」の方に突っ走っていくさまを描いて、これらにおける運命とか宿命って、あるいは「聖なるもの」ってどんな形なのか? と「カルメン」にフォーカスしてから、そういえば聖母マリアってのがいたな、と。 あの辺を起点として形成された信仰とか規範などがどうやって宗教改革を経由して「資本主義の精神」にまで行き着いていったのか、(そして今だに)とか。

あるいは、”Passion”の活人画制作の現場でMyriem Rousselの身体の尋常ではない曲線とそこに当たる光の肌理にやられてしまったゴダール氏がオトコの妄想とかフェチとかをフル回転させてその起源やモティーフを探し求めていくうちに肉 → 魂 → マリアに行き着いてしまった、とか。これが彼の最後の恋となったのだとしたらできすぎ、というかおもしろすぎる。

ゴダールの映画って、こんなふうに脇でいくらでも繋いだり剥がしたり当てつけたり誤読したり誤植したり、それをコラージュして転写して複写しても、どんなことしてもびくともしない伸び縮みの強さと自由があって、とにかくどれを何回見ても、いつも新しい。そんななにかを発見すべく、ビデオやデジタルの方に向かって、そのなかで「映画(史)」まで書いて、要はなんでも、ぜんぶある。そのうちきっと誰かが”AI Godard”とかやりだすのではないか。

丁度、Sight and Sound誌のGodard追悼特集が届いてぱらぱら見ているのだが、Kent Jones氏による長めの追悼文のほかは映画人の短めの弔辞がある程度だった。 同誌は2020年の6月に結構盛りだくさんのGodard特集を出しているのでそっちを見てね、ということかしら。


広報とか運営とかインフラとか、世界一のれない映画祭の季節が今年もやってきて、それでも何本かの映画は見たいのでチケット発売日に少しはがんばる。『アクセスが混雑しています』というよくわかんないメッセージを百回くらい見せられつつ、ほしいチケットはなんとか取れたけど、毎年文句言われて指摘されて、これだけ改善しないのも相当なあれだよね。「アジア最大」って、スポンサーが周囲にばらまいている金の総額でしかないでしょ。こんなのもうやめて円安で悪化する洋画の調達コストを支援するファンドに変えたら?

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