10.10.2022

[film] Downton Abbey: A New Era (2022)

9月30日、金曜日の晩、109シネマズの二子玉川で見ました。
邦題は『ダウントン・アビー/新たなる時代へ』。以下、ふつうにネタばれはしてます。

Downton Abbeyの世界は、日本で放映していた頃は横目で眺めていた程度だったのだが、英国にいた頃、特にパンデミックでロックダウンしていた頃にずっと流れていた再放送になんとなく嵌って見ていた。どのシーズンのどのエピソードから見てもよいの、時間が止まってて人殺しも革命も破壊工作も起こらずに、ただいろんな人たちがなんのためにだれのために奉仕したり愛したり議論しているのかもわかんないような/ように見える振る舞いを繰り広げながら、あのお屋敷の壁の内側と外側を貫いて、それでも日々の時間は支障なく流れていく、それを日向の猫になって眺めているかんじというか。

冒頭はお屋敷で行われたTom (Allen Leech)とLucy (Tuppence Middleton)の結婚式で、あのテーマ曲にのって忙しなく流麗に登場人物たちの隙間を動き回るカメラが式やパーティーでのあれこれを満遍なく写しとるイントロ - みんな元気そうで - 1928年? それがなにか? になる。ここだけで終わっちゃってもよいくらい。

今回の騒動はViolet (Maggie Smith)が若い頃(1860年代)に付き合っていたらしい(細かいことは語らず)フランスの貴族 - Montmirail侯爵から譲り受けたという別荘の譲渡が彼の遺言どおり執行されるのだが遺族側の抵抗も予想されるようなので、現地に行ってみてみよう、ってRobert (Hugh Bonneville)とCora (Elizabeth McGovern)と、なにかあったらどうするのだ、と執事のCarson (Jim Carter)が付いていく話と、お屋敷内で映画の撮影をしたいという話が来て、映画会社から一連隊が乗り込んで1ヶ月くらい居座る、とか言うので最初はそんなのダメって返すものの、撮影で入ってくる収入でボロくなった屋根の修繕ができる、というのでしぶしぶOKして、その間Robertたちは南仏に逃れていればよいから丁度よいでしょ、って。

当主たちが不在の間、Lady Mary (Michelle Dockery)が仕切るお屋敷にはBritish Lion Filmsていう映画会社から監督のJack Barber (Hugh Dancy)とか主演男優のGuy (Dominic West)とか主演女優のMyrna (Laura Haddock)とかがやってきて、厨房のみんなは映画スターだわ! ってそわそわするのだが、俳優たちにはそれぞれの事情があるのと、監督には上からいきなりトーキー対応しろ、って指令が来て音声部門がやってきて、でも令嬢役のMyrnaの喋りが甲高いコックニー訛りだったりするのでどうしよう.. とか。 (当時の撮影の様子が実際にこんなふうだったのかについては、いろいろ言われている。英国映画アーカイブ部門をなめんな、ってことか)

南仏対応チームは当たり前に不満顔でぶつかってくる侯爵の未亡人Nathalie Baye(すてきー)の相手をしつつ、侯爵が本当にVilotを愛していたらしいことが明らかになり、それどころかVioletが英国に帰ってからRobertが生まれた日を計算してみると、彼の父ってひょっとして… とか。

撮影の方は声を当てるのとか、音声が入るために必要となる脚本の直しについてはMolesley (Kevin Doyle)氏がやっつけたり、自分の訛りで落ち込んだMyrnaを元気づけるのに厨房チームが活躍したり、トーキーになって底をついた製作費をカバーすべくDowntonのみんながエキストラで出演することになったり、現執事のThomas (Robert James-Collier)はGuyに乞われて彼のマネージャーとなるべくハリウッドに渡ることになったり、いつものかんじ。

こんなかんじできて、でも最後には悲しいVioletの旅立ちがある。偶然であっても英国女王の死と重ね合わせないわけにはいかない。みんなの支えで柔らかに包みこんでくれる砦で、どこまでもずっと続いていくことを誰ひとり疑いもしなかった彼女がー。

Maggie Smithさんは自身の出ているドキュメンタリー映画でも壇上のトークでも、これとハリーポッターシリーズについて、あまりに長すぎて何がどうなっているのか、自分が何をしているのかもうわからなくなっている - おそろしすぎる.. って何度も語っていたので、もうやめどき、やめたかったのだろうな、って思いつつも、やっぱり寂しいよう。

海外への領土延伸/流出、近代の仕事や技術への対応、女王の死、これらがもたらすのが”A New Era”なのだとしたら、それはそうなのかもしれないけど、肝心なこと - そうなってもDownton AbbeyをDownton Abbeyたらしめているのは一体なんなのかについて、改めて考えさせられてしまうのだった。彼らはいつのどんなことをきっかけとして、消えてしまったのだろう? まだ世界のどこかにあったりするのだろうか? とか。(あったらあったでそれは問題だろうが)

次をやるのかどうかわかんないけど、やるなら世界恐慌から大戦に向かっていろいろきつくなるに違いないので、もういいかなー、くらい。

撮影でやってきたのが、Hitchcockのクルーとかだったりしたらもっと大騒ぎになっておもしろくなったかも。 実際に殺人が起こったりして、Molesleyが探偵になるの...

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