5.18.2019

[art] May 12 2019

残りのNYでのあれこれ。泣きたくなるくらいなんもないけど。

12日、13時少し前に地下鉄でNeue Galerieに行って、容赦なく降ってくる雨の中30分くらい並んだ。ここ、最近ずっと並ぶんだけど、どうしたんだろ? 昔はほんとがらがらだったのにな。あの映画のせいかしら?

The Self-Portrait, from Schiele to Beckmann

ここのレパートリーのドイツ表現主義の作家を中心に彼らのSelf-Portraitを集めたもの。いろいろな事情や局面で露出したり溢れ出たりねじれたりよじれたり変態・変身したりした肉とか顔とかを「表現」しようとした彼らは、そのおおもとにあった自らの顔や恰好をどんなふうに捉えていたのか。そりゃそうでしょうな、という納得の内容だった。ここで描かれる対象の眼差しはどれもどちらかというと穏やかで、こんなもんなんですよ、と語っているような。女性だとKäthe Kollwitzのと、Paula Modersohn-Beckerのお花を持ったやつがすばらしい。あとRembrandtのちっちゃいのがWarholみたいに並んでいた(Morgan Libraryから)。

ここのカタログはいつも必ず買ってきたのだが、今回はこの雨だったので次回にした。

そしてMETに移動したら、えーとあの人だかりはまさか?… うああうー  だった。軽く途中で折れ曲がって100mくらい。たぶん日曜日の公園で寛ぎたかった人々が雨だから絵でも.. になったのかどうなのか、近年あんま見たことのないみっしりで、でもしょうがないので並んで軽く30分、チケット買うのも最近は自販機になって楽になった、かに見えて操作しながら腕組みして固まっている人がいっぱいで、なんだかんだ1時間くらいかかったかも。

Monumental Journey: Daguerreotypes of Girault de Prangey

この日までの展示で、19世紀フランスのタゲレオタイプ写真の先駆、Joseph-Philibert Girault de Prangey (1804–1892)が地中海や中東を周って撮ってきた写真がずらり、Monumentalとしか言いようがないその量にまずびっくりする。 古いのだか粗いのだか石のようにみえる写真表面の肌理が古い遺跡や建物のそれと重なってそのまま移植されて、それ自体が化石標本のように固化している光。
遺跡の前に立ったときと同じようにいつまでも見ていられるのだが、そうしていられないのがー。

で、かんじんの”CAMP”の展示に行ったらばっかみたいにありえない行列で、こんなんなっても我慢して並ぶのはちっともCAMPじゃないよねーちくしょうめ、って諦める。

In Praise of Painting: Dutch Masterpieces at The Met

アムステルダムでやっているRembrandtお蔵出しを意識したのか、ここのオランダ絵画の巨匠のを一挙に - 通常展示の年代別というよりテーマ別に並べ替えて、Vermeerもこっちに持ってきて寄せている。 それだけなんだけど、なんかマスターピース感が増してしまう(→単純)という不思議。

このあと、「源氏物語」のとこを駆け抜けて、METがなにやってんだか、と思っていた展示 - “See Play It Loud: Instruments of Rock and Roll”の方に行ってみたらこちらも大行列で、まったくもう、ってあとにした。

というわけで、これって借りなのか貸しなのかよくわかんないけど秋までにはもう一回行かないわけにはいかなくなってしまったじゃねえかおぼえとけ、って外に出て、お天気も体調もよかったらGuggenheim (Mapplethorpe)とかMorgan Library (Tolkien)とかも駆け抜けたかったのだが、とてもそんなふうではないし、寒いし、McNally Jacksonに向かった。

McNally Jacksonのあとは、いつも通り本屋とレコ屋まわりになるのだが、欧米の古本はきほん、The Second Shelfでしか買わない - ほぼ半年通っているのにいまだに把握しきれていないあの稀有な本屋をつぶしてはいけないとまじで思う/でもこの調子だと自分がつぶれるよ - ことにしているので、買いすぎませんように変なのが現れませんように、ってどきどきだった。 Strandの3階をなんとか乗り切って、12 stのAcademy Recordsも冷や汗でがまんして、でもけっきょくMAST Booksでやられて、しんだ。 だめだわ。

そこからAnthology Film Archivesまで歩いて、まだ少しだけお花が置いてある入り口のとこでありがとうございました、ってお別れして、Jerome Hillの素敵なドローイング - “Portrait of Jonas Mekas” (1965) - が表紙になっているプログラム冊子を貰う。

これくらいかしら。 晩はいつものようにPruneで、この日は鴨だった。

で、翌月曜日は仕事でいちにち缶詰で、火曜日は日帰りナッシュビルで缶詰で、ナッシュビルは晴れていたけどここまで延々雨で、水曜日も缶詰でようやく雨があがったと思ったら夕方にはもう帰るという。 ほーんとに、低気圧で頭が重くなかったら夜中に映画に出かけたのによう。

って泣いていたらJimmy FallonにMorrisseyがでてきた。

行きの飛行機で見たのは”Dumplin’” (2018)、戻りの飛行機で見たのは”Minding the Gap” (2018) だった。 時間があったら書くかもだけど、いろいろ溜まっているので−

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