12.14.2018

[film] Roma (2018)

11日、火曜日の晩、CurzonのSOHOで見ました。
いま、どこのCurzonでも一日2回くらい上映しているのだが、結構売り切れが出ている。

Alfonso Cuarónが書いて監督して撮影までしていて、Netflixで配信されるということでカンヌの選考対象からは外され、でもヴェネチアでは金獅子を獲ったりしてて、今のとこSight & Soundの年間ベストでは1位、Film Commentの年間ベストでは4位、NY TimesだとManohla Dargisが1位、A.O. Scottが5位、VultureのDavid Edelsteinは1位、The Guardianはまだ7位までしか発表になっていないけど(今週から映画と音楽のベスト10は毎日ひとつづつ発表されていくの) 1~6位の間のどこか。 別になにが映画なのか、なんてどうでもいいけど、これって逆立ちしても映画館で見るしかないようなしろものだよ(って、見てからいう)。

RomaっていうのはMexico Cityの少し西よりにある地区の名前- Colonia Roma  - 住宅街で、そこの一軒家に暮らす中流家庭の70年から71年にかけてのお話し。車が家のなかに入ってくるガレージがあって、犬がいて小鳥がいて、父と母のSofia (Marina de Tavira)と祖母、子供たちが4人、メイドが2人。Cuarón自身の少年時代のことを描いたであろうことは容易に想像がつく。

ただ子供たちのうちの誰かひとりの視点で語られるのではなく、家族の面倒を見ているメイドのCleo(Yalitza Aparicio) - メイドたちは先住民の言葉Mixtecで会話する – を中心に彼女の身に起こったことも含めてものすごくいろんなことが入ってくる。家族の物語でもあるし、EmployerとEmployeeの話でもあるし、あの家、あの土地のこと、あの土地の名前から広がるメキシコの、ミシュテカにまでの広がりをもったお話し、でもある。

父はケベックのコンファレンスに出掛けるといっていなくなり、それを見送る母はちょっと様子が変になり、BFのFermín(Jorge Antonio Guerrero)と親密になったCleoは映画館で妊娠したかも、と告げたら彼はそれきり音信不通となり、いつまでも戻ってこない父の出張はうそでそのうち荷物を取りに行くという連絡が入り、Sofiaは車を小さいのに換えて職を探し、Cleoのお腹は大きくなって、ベビーベッドを買いにいったら大規模な学生デモにぶつかって産気づいてしまい..   あとは地震があったり山火事があったり。家族親戚は雑多に集まって騒いで散ってまたどこかで、を繰り返して終わらない。

出来事だけを並べればこんなもんで薄くて浅くてLife goes onで、最後にSofiaと子供たちとみんなで海に行くエピソードもああいうことになるであろうことはなんとなくわかるし。でも自身がノスタルジックに浸れるようなところをできるだけ排して(例えば音楽はそのシーンの背景で鳴っているもの以外は流れてこない)、いつも家族の隅や陰に小さく控えてて、自分なんかいなくなっちゃえば… と空を見つめて消え入りそうなCleoの姿を掬いあげて、その眼差しから自分を含めた家族の記憶の細部を、そのすべてを散らして並べて絵巻物にしようとする。

だからというかそのためになのか、映像と音像はなんかとてつもない。映像はどうやって細工加工しているのか、コンクリの上の犬の糞から水溜りに映る飛行機まで、洗濯物からテーブル上の散らかりまで、微細部まで驚異的な解象度で迫ってくるし、音は少し後ろでかさこそ鳴っているTVの音までその位置からのそういう音として聞こえてくるし、”Gravity” (2013)でなんだこれ? って目をまわしたあれらがパノラミックなモノクロの風景となってゆったりと回転していく。 そこに映っているのは(おそらくは失われてしまっているであろう)70年代のMexico Cityの風景、というこれはこれで驚異的な映像体験になっているのではなかろうか。

Mexico Cityって数回しか行ったことがないのだが、あそこの街並みを見てて - 車で通っていっても歩いていても – たまに締めつけられるくらいいい!ってなることがあって(原因不明)、あのかんじがやっぱり束になって襲ってくるのだった。
南米の町ってそうなることが多い。それがどうした、だけど。

ほぼ無表情か、真剣なのか、不安そうなCleoの顔とその彼女が寝転がったり車の窓に寄りかかったりぼんやり空を眺めてカラになっているところがとても印象に残って、これに応えてあげるのが子供たちのCleoがいてくれてよかったな、だったりするのがとてもよいの。(最後に出る”For Lido”、っていうのはたぶん…)

3部作にしないのかしら。次にこれの後の時代 - 小~中学生の頃が来て、締めはもちろん、あのすばらしい“Y Tu Mamá También” (2001) に繋がるの。 Cuarónの描く女性像、ってテーマでなんか書けるとおもう。

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