11.30.2018

[film] Le Baron fantôme (1943)

17日の土曜日の午後、BFIで見ました。英語題は“The Phantom Baron”。日本公開はされていないみたい。

BFIでは10月から11月にかけて(ああ11月が飛んでいく)、Jean Cocteauの4Kリストア版“Orphée” (1950)のリバイバル公開(ああ見逃した)にあわせてSight & Sound誌の選による”Fantastique: The Dream Worlds of French Cinema”ていう特集をやっていて、フランス産の怪奇・幻想・スリラーを古いのから新しめ(2004年くらい)のまで上映しているのだが、そのなかの1本。 これ以外はぜーんぜん見れなかったわ。  他に上映されたのは、Jean Epsteinの”The Fall of the House of Usher” (1928)『アッシャー家の末裔』とか、Marcel L’Herbierの”La Nuit fantastique” (1942) -『幻想の夜』とか、Georges Franjuの”Eyes Without a Face” (1960) -『顔のない眼』とか、Anna Karinaがでてくる”L’Alliance” (1970) – “The Wedding Ring”とか、Orson Wellesがでてくる”Malpertuis” (1970) とか、”Innocence” (2004) -『エコール』とか… 書いててうんざりしてきた。なにやってたんだろ自分。ばかばかばか。

スクリプトをJean Cocteau が書いて(出演もして)て、衣装はChristian Dior(40年代のDior)。Cocteauは今作に続けてトリスタンとイゾルデもの – “L’Eternel retour” (1943) - 『悲恋』も書いている。まだ戦時中、占領下なのに。

フランスの田舎の朽ちかけたような古城にSaint-Helie伯爵夫人とElfy (Odette Joyeux)とAnne (Jany Holt)の娘ふたりが馬車でやってきて暮らし始める。ここの主の Julius Carol (Jean Cocteau) – 彼が亡霊男爵ね – は城のどこかに消えてしまったとか言われていて、猟場番の息子のHervé (Alain Cuny)とElfyとAnneの3人はいつも納屋の干し草のなかで一緒に遊びながら大きくなる。

美しく成長したAnneはHervéと恋仲になっていて、Elfyはどっかの貴族ぽい若者と恋のゲームを始めたりするのだが、やがて消えた男爵の祟りだか魔法だかがどこからか滲みだしてきてお日さまを遮りはじめて。

ストーリーそのものは、3人の子供たちが成長してからの恋のあれこれ、貴族社会でのあれこれ、これに古城にまつわる伝奇とか怪奇譚 - 男爵とか猫とか - と、それらの渦のなかで怨念とか情念とか黒い計算とか - のせめぎ合いがあって生き残るのはどっちだ、と言う程、四角四面の息詰まったものではなくて、怪談にもならなくて、ジュブナイル要素の入った幻想小説のような、とてもフレンチな小品。

最後に明らかになる謎とそれに対する登場人物たちの対応もなんかあっさりしていて、ぬぁんだとおおおおー(憤)みたいに目をむいてでんぐり返ったりせず、最後に回想シーンを入れてあんなだったのにね、って甘酸っぱい夢のように閉じたりしてて、大人なの。

「嵐が丘」やJane Austenモノといった英国の荒野、貴族サークルが出てくるのとは材料は似ているようで、これも違う。

冒頭の霧の中、馬車がゆっくりと城に近づいていくシーンとか、陽が昇るころにHervéがAnneを抱えて森や岩の上を彷徨うシーン(ドレスのひだひだ)とか、息を呑むくらい絵画的な美しさに溢れていて、ドイツ表現主義の”The Cabinet of Dr. Caligari” (1920)とか“Nosferatu” (1922)の影響が指摘されているようだが、これもやっぱりちょっと違ってて、そんなにおどろおどろしてないの。 Cocteauが夢遊病歩きしたりするとこもあるのだが、なんかさまになってないし。

というか、そんな様式云々より、Cocteauはこれをはっきり若い少年少女に向けて書いているのよね。

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