11.20.2018

[art] Picasso: Bleu et rose

いろいろばたばたしていたのでその辺の備忘も含めて。

5日から7日まで仕事でドバイで、ドバイは昨年に続いて2回めだったのだが、やっぱし酸欠の金魚状態になった。 気候(だいたい30℃)のせいだけじゃなくて、都市が聳え立ってきらきらしているかんじがあわなくて、これはシンガポールでもそうなって、ドバイやシンガポールを訪れるとめらめら燃えてくる、っていうビジネスに恋した人々も間違いなくいるのだろうし、そういう人を非難するつもりもぜんぜんないのだが、自分はそうじゃないんだわ無理だわ、て思った。いまの東京も都市としては間違いなくそっちの方に向かっているのよね。あーあ。

で、7日の午前3:30にドバイからミュンヘンに飛んで、ミュンヘンに直行する飛行機はエミレーツだけだったのでそれにしたのだが、あのターミナルもラウンジも、ばかみたいにでっかくてすごくて、あそこまで行くとサービスがどうこう、ていう世界じゃなくて、とりあえずなんでも用意しておくから勝手に使えって。 これでじゅうぶんじゃないのか、この世界に「おもてなし」なんかで向かっていっても疲れてしぬだけじゃんそんなのやめちゃえば、とか思った。

で、8日の朝6時過ぎにミュンヘン着いて、薄暗いなか車で街中に入っていったのだが、もう車の窓から通り過ぎる建物を見ているだけでなんか、体中が解れて溶けていくみたいだった。 お湯がでなくても冷蔵庫がしんでも洗濯機が詰まってもしょっちゅうブレーカーが飛んでも地下鉄が止まってもバスがいいかげんでも、基本のインフラがどれだけしょぼくてその中で小突きまわされてぐったりになっても、こっちのが、こんなんでいいんだわ、って思った。

8日の晩のお仕事食事の前に少しだけ時間があいたのでDallmayrの本店とか行って、ああお菓子もお惣菜もハムもソーセージもこんなにすごくて呼んでいるのに、池みたいなとこには青いザリガニ(?あれなに?)までいる、のになんで手も足もだせないのか、とか呻きながら気づいたらお菓子とかハムとか手にしていた。自分でもなにやってるのかわからないかんじ - レコードとか古本漁っているとたまにやってくるあの忘我の感覚がー。

15の晩から16の夕方までは仕事でパリに行った。15の晩、木曜日のMusée d'Orsayは21:45までやっているので、とりあえず行くしかない。美術館に駆け込んだのは20:40くらいだった。

Picasso: Bleu et rose

昨年から今年にかけて何気にピカソが続いていて、パリのピカソ美術館で” Picasso 1932. Année érotique”をみて、それが英国にきたTate Modernでの“Picasso 1932 – Love, Fame, Tragedy”を何度か見て、昨年はマドリッドで「ゲルニカ」も見た。”Picasso 1932”は、パリとロンドンでタイトルが少しだけ違うように違っていて、ロンドンのがやや厚めの構成で丁寧だったかもしれない。”Pablo vestido de arlequin” (1924) とかも展示されていたし。

この展示は「青の時代(1901-1904)」とそれに続く「バラの時代(1904-1907)」に的を絞った内容で、この時期のピカソというと97年(20年前かあ..)にWashington DCのNational Galleryで行われた企画展 - “Picasso: The Early Years, 1892-1906” - が圧巻で、ピカソはどうやってピカソになっていったのか、がものすごい物量と共にわかりやすく示されていた。ピカソってこの時代を通過してしまえば、あとはどの年(1932年とか)でスライスしようが、どのテーマ(エロとか牛とか戦争とか)で切り出そうが十分な幅と厚みがあって、それは牛のいろんな部位みたいにどこをどう味わってもピカソでお腹いっぱいになるからそれはそれでよいのだが、なんといってもおもしろいのはこの初期の、悩んだり(青)萌えたり(バラ)して不安定に揺れながら線が撚りあわされていく、色とその肌理が定まっていくその過程にあるのだが、その過程を追えるようにするにはWashington DCの時のような圧倒的な量がないとだめで、その点はだいじょうぶだったかも。世界中から個人蔵のも含めて相当数来ていたし(広島とかからも)、必見のもほぼ網羅されていたとおもう。のでどっちにしても必見。 ピカソに少しでも興味があるひとは行ったほうがいい。 自分もたぶんもう一回、できれば行きたい。

Renoir père et fils:  Peinture et cinéma

ピカソと同じかそれ以上に見たかったやつ。(シュナーベルのはどうでもよいかんじ)
PhiladelphiaのBarnes Foundationで9月まで行われていた展示が総本山でも。

2008年にBunkamuraで行われた「ルノワール+ルノワール展」、それの元になった2005年の”Renoir / Renoir”との異同は不明なのだが(「ルノワール+ルノワール展」の時、ふん、とか言って行かなかったのね..)、こっちはルノワール一族というより、父と息子、絵と映画の関係に的を絞っていて、それをやるには後から来たジャン(ルノワール)の映画作品から入っていくのが適切だよね、と各セクションは暗くしてあってジャンの時代ごとの代表作が投影されていて、それに関連したテーマのパパ・ルノワールの絵が展示されている、というもので、パパ視点からすればナメられたもんじゃの、になるのかもしれないが、息子からすればいやいやこれは最大級のRespectなのですよパパ、ということになると思う。

冒頭から”Partie de campagne” (1936) - “A Day in the Country” - 『ピクニック』で、これだけでぜんぶ入っていて十分じゃないの、とか思うのだが、そこから”Madame Bovary” (1934)とか、”French Cancan” (1955)とか、最後はお約束のように”The River” (1951)で おわる。

転換期にあったアートのありようを親子二代でいちばん解りやすく、その表現形態も含めて示すことができる稀有なケースで、いやそういうことよりも、このふたりのっておいしい料理とおなじでうっとりして、それだけで幸せになる、とってもお得なやつ。あとはそのまま映画館に向かえばいっちょうあがり。

Alphonse Mucha

16日の金曜日、この日は夕方にはロンドンに戻る必要があってぜんぜん時間なかったのだがMusee du Luxembourgに駆けこんで見た。 今年はチェコ建国100周年の関連なのかPragueでもここでもMuchaの企画展があって、これまであんま見てこなかった(ほれなんか子供向け、ってかんじだし、国民的なんとか、って嫌だし)のだが、見てみようかな、くらい。

どこかで見たことがある気がするポスターとかがいっぱいあって、この見たことがあるかんじ、とか統合されてかっこよく見えるかんじ、がくせものなんだろうな、とかやっぱし神さまとかやりだすといろいろ似てきちゃうんだろうな、とか。途中で投げちゃったみたいに燻んだり滲んだりしたぼんやりした作品のほうが素敵に見えた。  7月にポーランドのMuzeum Narodowe w Krakowieで見たWyspiański展もおもしろかったのだが、あれにも近いと思ったし、こういうの、日本だとアニメの世界になっちゃうんだろうなー。でも今の日本のアニメって、明らかに大政翼賛のあれだよね。

そこから食材屋のLa Grande Epicerie de Parisに走って、ヨーグルトとかパンとかブドウとか目についたのをざーっとカゴに入れて買ってホテルに戻りメトロで北駅に向かってなんとかユーロスターに間に合った。

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