7.29.2018

[music] Heldon

7月14日の土曜日の晩、Café OTOで見ました。

Richard Pinhasのライブはむかーし吉祥寺で見ていたのだがあれはHeldonではなかった気がして、Heldonみなくていいの? Heldonだよ? って一ヶ月くらいずっと脳内で自問してて、その晩なんもなさそうなことが判明した数日前にチケット取った。

オープニングはHirvikolari ていう3人組で、モジュラーシンセ1名、トランペット1名、テナーサックス1名で、管楽器のパイプを通って擦れる音がモジュラーを通して加工されて膨れあがっていくのっておもしろい。ものすごくでっかい肺活量の肺がぶかぶかしたりとか大量の土管をウナギみたいのがすり抜けて暴れまわっていくようなかんじ。

そしてHeldon。 Richard Pinhasの他はFlorian Tatard、Arthur Nancyの2名の計3名、山伏みたいに屈強そうなドラムスと、ひょろひょろの神経質そうなエレクトロニクスの若者。

最初にPinhas先生が座って論文に向かうかのようにアンプを睨みながらギターをいじって編んで重ねてループさせていって、お湯も煮立ったしそろそろいいか、てなったあたりで立ちあがり、ペダルをぐしゃって踏み込むとどかーんて広がってその波に乗るようにドラムスがどこどこ鳴り出し、埃がもうもうと立つかんじになり、その背後の茂みで体育館座りをしていた若者が立ちあがってケーブルの山をいじりだすと音の雲が倍くらいの厚みになって少し音楽ぽくなる。 しばらくすると若者はボタンがいっぱいのアコーディオンを抱えて、そのボタンがベースとして鳴っていることがわかるのだが、とにかく音は終始ひたすら攻撃的にせっせと壁を築きつつもやかましく、その濃さときたらPinhasのソロの比ではなかった。

そのままノンストップで50分くらい、アンコールで戻るのがめんどかったのか、その状態のまま更に10分くらいのセットをどかすかやって終わった。スキゾというよりはひたすら土を掘り進んでいくパラノだった。

Lindsay Cooper Songbook

もういっこ、Cafe OTOでみたやつで書いてなかったのがあった。6月16日の土曜日の晩。

発表されていたメンバーはChlöe Herington, Tim Hodgkinson, John Greaves, Chris Cutler, Yumi Hara, Dagmar Krauseで、なんかほぼHenry Cowだし、Lindsay Cooperのソロ - “Rags”とか - は好きで、あの複雑な針金細工みたいな管弦音楽がライブでどんなふうになるんのかしら? があったので行った。 でも着いたらDagmarさんは風邪でお休みというアナウンスがあって、それじゃあなあー(がっくし)、になってしまった。

事前に前座がいっぱい告知されててだいじょうぶかしら、だったのだがJohn Greavesさんのソロなんて3曲くらいしかやらないし。

Lindsay Cooper Songbook 、John Greaves & Chris Cutlerの奇妙に絶妙によたっていくうねりに乗っかる菅や弦や鍵のアンサンブルはとっても変で独特なジャズで、これが Lindsay Cooperの音楽なんだなー、って改めて思った。 半壊した車に乗ってどこに連れて行かれるかわからないスリルと興奮と。 スコアはあってもこのメンツじゃないとこうはならないよね、と思ったのだった。 大好き。

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