7.24.2018

[film] Dementia (1955)

日本もあついみたいだが、いまの英国も相当あっつい。冗談みたいに雨が降らない。誰に聞いても20年ぶりとか30年ぶりとか言う。
オフィスには冷房あるけどアパートにはない。オフィスにはいたくないから映画館とかに逃げこむしかないのよ。

12日の木曜日の晩、Barbican Cinemaでみました。

ホラーとフェミニズムの接点・境界を探る映画上映集団  - The Final Girlsがキュレーションする夏のホラー映画特集 - 昨年もBarbicanでやってた。今年は”The Final Girls present: Unholy Women”ということで、週替わりで計3本。”The Mafu Cage” (1978)、”Dementia” (1955) -  これ、そしてラストにRobert Altmanの”Images”(1972) – 再見したかったのに逃した。

テーマをもう少し具体的に言うと、女性のIllnessや症例みたいの - 女性の聖性とは逆側に現れるやつ - を(ホラー)映画はどう扱ってきたか、ということらしい。

邦題は『恐怖の足跡 ビギニング』?  
冒頭に字幕でPreston Sturgesによる絶賛コメントが表示される。

夜中、カメラが外からアパートの一室に入っていくと女性が具合悪そうに起きあがったところで、外出先から戻ってそのまま寝ていたらしい、彼女はその状態のままふらふらと外に出て行くと浮浪者に絡まれたり、怪しげなお金持ちに拾われたり、墓場に連れていかれて幼いころに母親を殺した父親を殺した悪夢のような夢だか記憶だかが浮かんだり(ここのシーンはすごい)、酒場とかジャズとか警官とか夜の街の終わりのない彷徨いをなんとかして、てなったところで「はっ、今のは夢?」になるのだがそうでもなくて。 
ほぼ音楽のみで、台詞も叫び声も放たれる場所がなく押し殺されて助けも救いも求めることはできない。全体の作りはクラシックな実験系アート映画のようでありながら、ところどころ生々しくてどきどきしたかんじが残る – 丁度 David Lynchの映画から抜けた後のようなうまく説明できない疲労感みたいな何かが。

上映時間が58分と短いので上映後にFinal Girlsのいつものふたり(何人いるんだろ?)に加えて批評家のひとと映像作家のひと(.. たぶん。どちらも女性)が入ってのディスカッションがあった。
(個々の作家名作品名とか詳細をきちんと憶えてなくてごめんなさいなのだが)

女性のヒステリーやIllnessを描くコンテキスト(例えば父殺し)とか、その描き方の適切さについて、更にはこういうのを男性映画作家が描くことについて – うまくいっているケースもあるけどそれってなんでどうして? - といったようなことを過去の映画史とか批評のケースをこまこまひいて、それってホラー映画として、あるいは女性映画としてどうなのか、というところまで分け入っていくので学会のシンポジウムみたいになっていた。 そこまでして映画を見るのか、というと見るんだよね、なぜならホラー映画で描かれる恐怖も、ここで描かれているような女性の不安や恐怖も割とふつうにリアルに現前するものとしてあるから。 そしてそれを映画を介して解したり、その根を掘っていくのはそんな大変でもないし、そもそも映画を体験するっていうのはそういうことなのではないか。
(読書もそういうとこあるけど、もっとストレートに頁に挟まれた作家の世界に入る。映画は、例えばホラー映画の世界(観)みたいなのが闇の向こうに間違いなくあって、その扉を開く)

音楽はGeorge Antheil、と後で聞いてなっとく。
見てないけど、この映像、Faith No Moreの”Separation Anxiety”のPVに使われているんだって。
確かにMike Pattonの世界に近いかも。

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