7.08.2018

[film] Summer 1993 (2017)

6月30日、土曜日の午後、CurzonのBloomsburyで見ました。
原題は”Estiu 1993”、邦題は … どうでもいいや。

このBloomsburyの映画館には5つくらいシアターがあって、それぞれ名前がついているのだが、いっこRenoirていう名前のばかでっかいのがあって(他のはどれもすごく小さい)、そこでの公開前のPreview + 監督Carla Simónさんとのトーク。 シアターRenoirで、なんだかとても夏のRenoirぽい映画を見る。

6歳の女の子Frida(Laia Artigas)がいて、夜、荷物を整理してどこかに連れていかれる - 引っ越そうとしているようで、街の花火が鳴っているなか、みんなにばいばいって言われて車で運ばれていく。どうやらFridaのママは亡くなってしまって、彼女のおじさんおばさんのところに引き取られていくらしい。
新しい家は森のなかにあって畑があって、鶏がいて猫がいて、Fridaより小さい女の子のAnnaがいる。

新しい家族の3人は唯一の肉親だった母親を失ったFridaに目一杯気を気を配って暖かくやさしくしてあげるのだが、FridaのほうはAnnaに自分が持ってきた人形を見せて、これはみんなあたしが貰ったものなのなんだから、ってなんかお姉さんヅラして威張ってて、ちょっと意地悪そうなのだがこの年頃の女の子にふつうにあるようなあれかしら、と最初は思う。

映画はそんなFridaとAnnaのいろんなエピソードを並べていって、だいたいはFridaがAnnaを泣かせちゃったり、Annaを森のなかに置き去りにしたり、そういうのでおじおばが口論したり、実家からおばあちゃん達が訪ねて来てはまた口論になったり、ちょっと困った子になってしまった感のあるFridaを巡ってのあれこれで、FridaはFridaで、こんなふうになっちゃうんだからこんなとこにはもういたくないママに会いたいよう、って、どうすることもできないのでどうしろってのよ、になって、でもやっぱり …

“The Florida Project” (2017)がそうだったように、子供たちが子供たち同士でわあわあ遊んでいるのはそれだけで絵になってしまうのでずるいや、なのだが、ここのFridaには先に書いたような陰が少しだけ見え隠れして、それが瑞々しい森の景色やまだまっしろなAnnaとの間でなんとも言えない痛ましい対照をみせて、それが幼年期の情景をちょっと違ったものにしている。 でもそれって自分が振り返ったときに見える幼年期のそれに近いのかもしれない。 なにもかも輝いていて美しい、なんてことは決してなかった。 でも、そんなふうでも残っているものはあるよね、とか。

そういうのも含めて、すばらしい(永遠の)夏を描いた映画だとおもった。

上映後、空港からそのまま映画館に直行してきたという監督Carla Simónさんとのトーク。
監督自身の子供の頃を描いた、という点について、フランコ政権が崩壊して82年にスペイン(含. カタルーニャ)が解放された後、若者たちの間ではフリーセックスとかドラッグとかいろいろ自由な空気が広がって、自分の母親もそれらを謳歌したひとりで、彼女が自分を身篭ったのが86年、そのあとでAIDSに感染していることを知ったのだ、と。 なのでタイトルにある1993というのは、自分にとってはまちがいなく意味のある年なのだ、と。

描かれたエピソードはぜんぶ自分がやったものではなく、当時を知る人から聞いたものとか、新たに創ったりしたものとか、いろいろある。 Annaを森に置き去り、は(みんなにあんたあんなことやったのひどいー、って言われたけど)実際にはやっていないし、家出のエピソードもやったことはやったけどFridaほど勇敢に遠くまで行けなかった、とか。

次のがあったので途中で抜けざるを得なかったのだが、監督ってFridaがそのまま大きくなったような外見の方で、素敵だった。

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