6.08.2018

[theatre] My Name Is Lucy Barton

4日の月曜日の晩、Bridge Theatre(900人規模)で見ました。

この日の晩、裏番組としてはRoyal Festival Hallで”Bill Murray & Jan Vogler Present: New Worlds”ていうのがあって、小編成のアンサンブルをバックに詩を朗読するBill Murray氏も見たかったのだが、こっちの方のチケットを先に取っていたので、しょうがない。

演出はRichard Eyre、Elizabeth Stroutの2016年の小説(翻訳ある)をRona Munroが脚色してLaura Linneyがひとり芝居する休憩なしの90分。

Laura Linneyさんは自分と誕生日が2日しか違わないこともあってずっと惹かれていて、昔々に”The Squid and the Whale” (2005)が公開されたとき、BrooklynでのNoah Baumbachとのトークに行ったことがあった。 そこではあの映画の中と同様のBrooklynのぶっ壊れた家庭で子供時代を過ごしたことについて監督と楽しそうな同世代トークを繰り広げていたことを思いだす。

原作の翻訳『私の名前はルーシー・バートン』は未読で、チケットを取ってからペーパーバック - 表紙に四角の穴が切ってあってそこからクライスラーが見える – を買って半分くらいまで行ったところで当日が来てしまった。

舞台の上には病室のベッドとその足下のほうに来客用の椅子がひとつ。ひとつある窓からはクライスラーとMetlifeのビルが見える – この景色はたぶん合成で、あの二つのビルがあの角度からあんなふうに見える地点はないはず – どうでもよいけど。 彼女がいた病院ってBellevueとか、East River沿いに病院が固まってあるあの辺りだろうか。

オープニング、Lucy (Laura Linney)は無造作に無頓着にすたすたステージ上に現れて客席のほうに気づいているのかいないのか、こちらを見てるような見ていないようなそんな温度で喋り始める。服装は外出用の普段着 - 首に何か軽く巻いてカーディガンつっかけて、派手すぎず地味すぎず、そこらのスーパーに買い物に出ました、のような恰好で、それこそスーパーで買い物しているような足取りとスピードで置いてある椅子、ベッドの縁、窓際を行ったり来たりしながら、喋って喋って止まらない。

話す内容は、昔この病室に9週間いたこと - デキモノを取るくらいだったのがなぜか長引いて9週間もいた - その間、ふだん飛行機にも乗らないような母がイリノイから病室までやってきて5日間(!)もここにいてお喋りをしたこと、そこで母が喋った知っている人達のこと、夫のこと、子供たちのこと、イリノイで育った小さい頃のこと、こんなことがあんなことがあった、誰それが言ったことやったこと、話は脈絡なく、あるいは彼女の中の脈絡に応じて自在に飛んだり跳ねたり留まらず、本当のことなのかフェイクなのか妄想なのかもわからない。

話しの進行に応じてなのか関係ないのか、窓の外は明るくなったり暗くなったり雨になったり、彼女が育ったイリノイのコーンだかの畑の光景に変わったりする。音は淡く薄いのがほわーん、と耳鳴りのように遠くから聞こえてくる。

そうやって話している内容は彼女の身の回りの人やコトを端からきちきちと網羅していく一方で彼女自身のことについては周到に回避しているかに見える – なんで母親はLucyのことについて喋ろうとしないんだろう? あるいは なんでLucyは自分の思いをこちらにストレートにぶつけてこないのだろう? - でもそうではないかたちで、表に出てくる、明らかにされることがあって、それって。

それは原作の本を読み進むのとは明らかに異なる体験で、Lucyの自分に語りかけているのか客席に向かって何かを語ろうとしているのかが明確には取れない(もちろんそれは意図しての)あの発話、というか演技は、話された出来事を窓の向こうのクライスラービルディングの方に追いやる、或は走っていく電車の窓の外をさっさか過ぎていく風景にしてしまう。(他方で、読書は電車の旅、というよりは階段を昇っていくようなかんじ、だろうか)

それらは、彼女の話したことは、窓の向こうに一瞬で流れていってしまうからと言って、それらがどうでもいいなんかになるってことではないの。むしろ逆に光の粒や星の渦になって彼女の顔を、名前を、背後からくっきりと照射するものになるの。

そしてなによりもそれを可能にしたのはLaura Linneyのとてつもない、壊れちゃったみたいに(でも極めて滑らかに)延々止まらずに流れていく語りに他ならない。母親の口調を真似するときだけやや甲高い荒れた老婆の声になるものの、それでもダイナミックに彼女を取り巻いていた複数の声や言葉を並べたり壁に貼ったりしていって全く飽きることはなかった。 彼女はそれだけの声と言葉を発しながら、いったいどこに(立って? 座って?)いるのだろうか? 

シアターで買ったパンフには脚色をしたRona Munroさんと原作のElizabeth Stroutさんの電子メールでのQ&Aが収録されていて - 創作の過程について、とか「Lucy Burtonはどこにいるのでしょうか?」についてのコメントがあり、Elizabeth Stroutさんの新作短編集 - ”Anything is Possible”からイリノイのLucyの実家と彼女の兄のPeteが出てくる”The Sign”が収録されていて、なかなかお得だった。

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