6.18.2018

[film] Eighth Grade (2017)

10日、日曜日の夕方、Picturehouse Centralで見ました。 この前の週に行われたSundance Film Festival in LondonでAudience Awardを受賞した作品が、1回だけアンコール上映された。

冒頭、女の子が自分の部屋の隅をライティングして、PCのカメラに向かって明るくスピーチ - 「自分自身であること、とは」みたいなの – をして、ひと通り喋ったあとで、「じゃあまた来週ね!ぐっち~(注、よくわからず)」みたいなことをやってPCオフして、要は自分のチャンネルにそういうのをいつもUpしたりしているらしいのだが、それがEighth Grade – あと数週間で高校に行くことになっているKayla (Elsie Fisher) のやっていることで、それなら彼女はみんなに引っ張りだこの人気者なのかというと、顔はニキビぽつぽつでややぽっちゃりで背中もやや丸まってのっそりしててあんま喋らなくて、住んでいるのも父Mark (Josh Hamilton)と二人暮らしで、要するにあんまぱっとしないどこにでもいそうな女の子で、こんな彼女のEighth Grade最後の数週間はこんなふうに。

Kaylaにものすごい秘密があるとか隠れた能力があるとか闇で交際しているとか、あるいはものすごいことを計画していてやがてとんでもないことが起こるとか、そういうのでもなくて、小学生のときの宝箱を出してきて眺めたり、人気者の子のうちに招かれて緊張しすぎて浮きまくったり、夜中にもそもそPCしたりスマホしたり、誰でもやっていそうなこと(最近の子がどんな生活をしているのかまったくわからないので推測だけど)を淡々とこなしていて、そういうのがちょこちょこ気になってお伺いにくる父親との間で小競り合いを繰り返していて、そんなのがおもしろいのか、と言われればおもしろいのだからしょうがないの、これは。

やがて入ることになる高校の上級生とも知り合って(そういうお見合い会みたいのがある、らしい)、いろんなことを話して、その彼女の友達にも紹介してもらって少しだけ大人になった気もして高校生活に期待が持てたりもするのだが、同様にやなことも起こって萎んだり。

自分のときはどうだったのか、なんて思いだしたくもないことばかりなのでそんなの断固見たくない、というずるい大人(=自分)にも、この頃ってほんとどうでもいいようなことでいちいち死にたくなったり世界中を呪ったり穴掘って籠ったり、そんな暗いのばっかりだったな、ということを思い起こさせてくれて、その辺のちくちく追い詰められるようなかんじがたまらなくて、従来の青春映画や子供映画にあるそうだよね(!)、みたいな高揚感とか拳とか納得感とかはあんまないのだが、それはそれでよいのかも。 だってそんな程度のしょぼいもんだったし。

でもさー、いちいちあんなチャンネル作って公開したり、チャットだソーシャルだなんだで追いまくられたり、そういうので空振りしたり白目で見られたりその都度あがったりさがったり、今の子供たちってほんと大変なんだろうな、って改めて思った。 それにあんなことこんなことしたのがぜんぶデジタルでどこかにアーカイブされていて10年後とかにどこかから現れるなんてぜったい耐えらんなくて死にたくなる気がするのだが、そういうのも平気なのかしら。

で、この辺の大変感をだすのにどろどろじめじめの真っ暗にしてしまうこともできたのかもしれないけど、そっちには行かずに、くすくす笑えるコメディに包んで、なおかつこういう子ってそこらにいそうかも、と思わせてしまうところはよいな、って。

主役のElsie Fisherさんの堂々たるずっこけ彷徨い女の子っぷり – まるで”The Florida Project”のMooneeが捩れたよう – が光っていて、彼女がこの数年後に自分のことを”Lady Bird”とかうわ言のように言い出すようになるのかどうか、静かに見守りたい。

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