6.23.2018

[film] Hereditary (2018)

16日、土曜日の昼、CurzonのBloomsburyのでっかいスクリーンで見ました。

みんながあまりに怖い怖い今年一番怖いとかホラーのイノヴェーションだとか言うので、どんなもんかしら? と。怖くなったら出ちゃえばいいし、見たくなければ目をつぶればいいし、泣きたくなったら泣いちゃえばいいし。

怖かった。けど怖さの種類がこれまでのとはなんか、ちょっと違うかも。

ミニチュア・アートの製作をしているAnnie Graham (Toni Collette)がいて、あとは夫のSteve (Gabriel Byrne)がいて、ティーンエージャーの息子のPeter (Alex Wolff)と13歳の娘のCharlie (Milly Shapiro)がいて、Annieの母のEllenの葬儀から始まってそこでのAnnieの弔辞によるとEllenは相当変な、厄介な人だったらしいのだが、そこから一家に変なことが起こり始める – というだけなら割と簡単なのだが。

例えば、ある家族 - 血縁、ある家、ある建物、ある土地、此岸に彼岸、この世にあの世、あるいは、神話、伝説伝承、言い伝え、風習、呪い、あるいは、憑依憑りつき、悲嘆、喪失、虐待、生贄、去勢、損傷、変異、転移、感染、増殖、減衰、消滅、放置、あるいは、だっきん、どばどば、ぐじゃぐじゃ、ぐりぐり、ぴゅー、などなど、ホラーって、それが展開される場所とか文脈、そこで登場人物たちに加えられる苦難の度合いとか性質とか頻度とかそのやりようとかの組合せで、だいたいどんなものかはわかるし、それがわかるから広告になって、それを見て見たいひとは見にくるし、見たくないひとは見ないで目と耳を塞ぐわけよね。

この映画だと、予告のなかでToni Colletteが見せるすさまじい形相と娘Charlieの老婆のような無表情とその対比から、この親子とか家族に災難試練が降りかかって、それは祖母Ellenの死に起因したものなのだろうな、くらいの推測はできて、はじめのうちはその通りに進んでいくかに見えるのだが、途中から突然「エクソシスト」みたいになって、最後は「地獄の黙示録」みたいになる。
 
その話の運び方がなにかのイベントにキックされるものでもセリフにキックされるものでもなく、気がついたらそっちにいってあんなんなっているので唖然で戦慄して、なんだよこれ! になるのだがそうなったときには既に遅かったりする。 登場人物たちの恐怖に取り入っている暇はなくて - 彼らもおそらく恐怖を感じる前に首がなくなったり火だるまになったりしてて、更に「おまえはとっくに死んでいる」と後になって気付かされる怖さ、でもそれを知る死んだ自分てなに… ていう間抜けさも、どこかしらにあったり。

書けるのはここまでかなあ。

冒頭、Annieの作ったミニチュアのGraham家に空からカメラが寄っていってそれがそのまま現実になるところとか、Charlieがひとりで住んでいるらしい離れの高いとこにあるウッドハウスとか、突然現れる屋根裏部屋とか、アリとかトリとか、細かな小道具といちいち耳に触っては逃げてく音響設計(ぜったい、音のよいシアターで見ること)とColin Stetsonの音のエッジと。

監督のAri AsterさんがCriterion Collectionの棚から選んだTop 10、で、1がBergman、2が溝口って、そうかー、って思った。特にBergmanの3本 - “Persona” - “Cries and Whispers” - “Fanny and Alexander”って、なるほどなー(ちなみに溝口だと「雨月物語 -「山椒大夫」-「西鶴一代女」の3本)。 怖さの性質からすると、これらの映画の方に近いのかもしれない。

それにしてもToni Colletteさんの顔は怖いよう、とか、怖さとは、怖いというのはどういうことをいうのか、を考えるにはよい題材だと思った。

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