5.28.2017

[art] Marc Quinn: Drawn from Life

いまSir John Soane's Museumで行われている展示があって、その関連イベントとしてトークがあって、ほんとうは展示を見てから行くべきだったのだが、間に合わなくて17日の晩にトークを聞いて、展示のほうは27日の昼にようやく見れた。

http://www.soane.org/whats-on/exhibitions/marc-quinn-drawn-life

Marc Quinn in conversation with Darian Leader
場所は、John Soane's Museumの公園を挟んで反対側、The Royal College of Surgeons。
トークの聞き手はDarian Leaderという精神分析学者 - 日本でも『本当のところ、なぜ人は病気になるのか?』ていう翻訳(未読)が出ている - で、今回の展示のカタログにも彼の作品についてのエッセイを書いているひと。
精神と身体の統合とか分断を巡るよくありがちな議論に終始したらやだな、と思っていたがそうはならずに、Marc Quinnさんが聴衆も含めて聞かれた質問に丁寧に答えつつ自分のアートについてとってもわかりやすく明快に語る、というものだった。

今回展示された12個(体 or ?)の像はすべて女性の体で、頭部はなくて、肩のあたりから翼のように鎧のように男性(と思われる)の二本の腕 - 腕のみが背後から伸びて、女性を支えているようにも繋ぎとめているようにも抱きしめているようにも拘束しているようにも見える。(つまりは愛をめぐる - )
作品によっては下半身が別につぎはぎされているようにも見え、背後にまわるとその背中はぱっくりと開いていて、その内側はからっぽの外皮のみなので、とてもFragileなものに見える。 いろいろな断片が組み合わされているようで、でも立像としてのバランスや統合感はすばらしく、どこかの遺跡から発掘された彫刻の一部、と言っても通用してしまうかもしれない。

そして、そういうアートが世界中から集められた断片やこわれものの集積地であるところのJohn Soane's Museumに置かれている。12体は実際にここの上階の展示室に並べられているのではなく、地下から上まで、ギリシャ彫刻や古今東西いろんなガラクタの間に紛れて置かれていて、その違和感のないことときたら驚異としか言いようがない。この小さな館に来ていつも感じる、時代も地域もばらばらなアートの破片や欠片があの狭い空間に並べられることであきれるような整合感 - 数百年前からそれらはそこにあるべくしてあった、みたいな - 感覚が来て、その不思議さがふたたび。

で、彼のトークはこういった作品のコンセプトや展示場所について、見る側の想像力に委ねるとしながらも、自身の見解を淡々と語って、それがあまりに思った通りすぎたので、ああなんてまじめな方なのでしょう、と思った。

印象に残ったのは、この作品はグラスファイバー製で、壊れやすいように見えるけど、実はものすごく強いんだ(つまり… )とか、作品の構成について考えることは世界について考えていくことと同じで、その点で自分の仕事はサイエンティストのやっていることに近いと思う、とか。
あと、あのボディは彼のガールフレンド(ダンサー)の身体から型取りしてるんだって、さ。

最後の展示室には今回の作品群の型と製作過程の写真があって、型の欠片たちは脱皮したあとに残された皮のように見えた。 そして今回の展示作品もまた(背中が開いているし)脱皮後の殻なのだな、と思った。

Marc Quinnさん自身は、最初とっつきにくそうだったけどヤンキースの帽子を被っていたのでこのひとはいいひとなんだ、と思ってカタログにサインもらった。


もういっこ、Tate ModernでAlberto Giacomettiのレトロスペクティブ。5月14日に見ました。
ロダンとおなじく必見すぎるので詳細は書きませんが、針金彫刻ばかりのひとだと思ったらおおまちがいだからね。 デッサン群がすばらしかった。矢内原伊作先生もとうぜんいる。

Marc Quinnのあれらの像が脱皮を繰り返していくと最後にはGiacomettiのになるのだとおもう。
(あと何回? 何年?)

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