5.18.2017

[film] Manhattan (1979)

そういうわけでAllenの”Manhattan”に行こう。

モスクワから戻ってきた12日の晩、BFIで見ました。
ほんとうはFassbinder特集の”Despair” (1978)を見たかったのだが、これは売り切れてて、Stand-by ticketを狙って早めに行ったのに目の前、あと数人のところで持っていかれて無くなってすごいショックで、でもなんか帰るのやだな、って始まったばかりのこれの4Kリストア版のRe-Releaseを見ることにした。

BFIにはスクリーンが4つあって、NFT1ていう一番でっかいスクリーンでの上映。
この映画はでっかい画面のでっかい音で見るに限るの。 冒頭、Gershwin”Rhapsody in Blue”のぷぁ〜 ♪とかじゃかじゃん〜 ♬ とかに乗って切り取って並べられていくマンハッタンの光景、ここだけ見て帰っちゃってもいいくらいに素敵なNYがあって、ここのGordon Willis のモノクロに匹敵するくらい見事なカラーのNYとなると “The Sheltering Sky” (1990)の冒頭 - Vittorio Storaro、だろうか。

ストーリーは別にいいよね。 42歳、バツ2で17歳のTracy (Mariel Hemingway)と暮らしているIssac (Woody Allen)がMary (Diane Keaton)と出会っておかしくなってしょうもなくじたばたするサマ、というよりザマがひたすらおかしくて、あーあ、で、Allenがあんなヤツだったことを知ってしまった今となっては複合的な意味でおかしくて、うううむ、て唸るしかないという。

40を過ぎた彼があんなふうに己を顧みずに恋愛に突っ走ってしまうそのかんじ、わかんなくはないのだが、昔みても今みてもまあったくわかんないのは、結果的にふられたり逃げられたりいい気味とはいえ、なんであんな四六時中べらべら喋ってて髪もしゃもしゃでハゲかけひょろひょろのおっさんが、一時的とは言えモテたりするのだろう、ということなの。 前妻がMeryl Streepで、恋人1がMariel Hemingwayで、恋人2がDiane Keatonって、ぜったいありえないよね。

で、そういうありえないことが起こってしまう場所としてのマンハッタン、というのも30年前だったら信じたかもしれないけど、もうムリだわ。 Upper EastがどんなところでUpper Westがどんなところか知り過ぎてしまった今となっては。 この「今となっては」が反省とか後悔とか悔恨とかと一緒に至るところで渦を巻きながら襲ってきて、この映画をドライブしているのもIssacのぐるぐる循環する「今となっては」のやけくそ感なんだろうなー、って。

これが”Fear of Fear”のほうに向かわないのはアメリカ人だから? ということでいいの?

そして、スカイラインがすっかり変わってしまったManhattanの最後の美しさがすばらしいモノクロの映像で蘇ったことを堪能しよう。 これも今となっては、のおはなし。

ぜんぜん見たことのなかったモスクワから、少しだけ馴染んできたロンドンに戻って、ずうっと住んでいた街の映画を見る、ていうのは変なかんじで、なんかくすぐったかった。

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