5.10.2017

[film] Lady Macbeth (2016)

更にもどって、5月1日(休日)の昼間、CurzonのSOHOで見ました。
これも引き続きおっかない、女の子の、お話。

シェイクスピアの「マクベス」とは関係なくて、原作は19世紀ロシアのニコライ・レスコフの『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(未読)。
こないだパリに行ったとき、これのポスターがかかっていて、そのタイトルは"The Young Lady"...

英国(たぶん)の田舎の村のお屋敷に暮らすKatherine (Florence Pugh)がいて、毎朝に下女が起こしにきてコルセットをぎゅうぎゅう嵌められて着替えるともうすることがなくて窓辺でぼーっとしたり荒野に出て行ってぶらぶらしかすることがない。
彼女はいまの主人に家ごと買われて、家の付属品としてついてきたので夫(買主の跡取り息子)はいるけど二人の間に会話も愛もまったくなくてしらじら荒みきっている。

暫くの間、夫が町のほうに出掛けていなくなって、その緩んだ空気のなか下女をいじめる下男らがいたのでどなりこんで、あまりに野卑で乱暴だったので叱りたのだがその中のひとりSebastian (Cosmo Jarvis) にはぜんぜん堪えなくて、逆ににやにやしながら付きまとってきて、はじめは近寄んないでよ!て毛を逆立てていたのだが、無理やりキスされたらなにかが外れてしまい、「夫のいない隙に」おおっぴらにいろいろやりだすようになって、やがて酒蔵のワインもなくなっちゃって、飼い主の義父が雷落として怒り狂うのだが、彼はとつぜん苦しみだして死んじゃって、そのうち、よりによって彼と一緒のときに夫が帰ってきて...

始めのうち、Katherineは明らかに疎外されて迫害されて、行き場のないどん詰まりの生のなかにいて、その殻をSebastianていう野蛮な獣が揺さぶってぶっ壊したら彼女のある部分が解放を通り越して暴走を始めて、ていう単なる上下逆転・復讐の物語を踏み越えてダークサイドに目覚めてしまう娘のお話としてとても見応えはあった。 ものすごくおっかないし救いようないし後味わるいけど。

主人公がKatherine でぼうぼうの荒れ地の中で暮らしていること、そこに野蛮な男が現れてなにかを一変させて、というあたりは「嵐が丘」かも、とも思ったが、そういう物語とか伝説みたいななにかとは関係のないところで退屈さや不毛さと正面からぶつかってぎざぎざに荒れて、そういう淵にのみ自己を見出していくKatherineの凄味。 だれも相手してくれない構ってくれない理解してくれないが常態化して、それが苦痛でもなんでもなくなったとき、みんないなくなっちゃえ、に向かうのは当然で、あとは例えばそれを「悪」と呼ぶことは可能なのか、とか。

彼女はなにも言わないし言えるような状態にも置かれないので、最後までその本音のようなのを吐かずにほぼ仏頂面に終始して、最後の最後に見せる表情がすべてを語ってしまうのかしまわないのか… でぷつり。おっかなかった。


これから金曜の晩までモスクワに行ってきます。 PC持っていかないので更新止まります。
チェブラーシカに会えますように(←くらいしか出てこない)

ではまた。

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