4.19.2015

[lecture] 2015年ダライ・ラマ法王14世来日法話

12日の日曜日の午後、日本橋のシネコンのライブビューイングで見ました。
最近、あんま見たいのやってないねえ、とシネコンの時間割を探していたら見っけて、春だしおべんきょしたいかもモードになっていたのでチケット取った。 法王さまが降臨するライブ会場はおうちから歩いていけるところにあるのに、わざわざ遠くに行かないと見れない。

でも午前は起きあがれそうになかったので午後1:30の回にした。
会場に同時通訳は付いてて、でもセンテンスごとに切って訳すのではなく、事前に渡されたものからパラグラフごとに纏めて訳していて、その間、法王は暇そうにきょろきょろしていた。

壇上には僧侶の方々が左右から囲んで、背後にはでっかい仏画がかかっている。
その絵の下方、仏様のまえに6個のカラフルなソフトクリームみたいのが描いてあってとっても気になったけど、あれなあに?

にこやかに登壇した法王さまは、座るなり般若経について話します、と「じゅうまんじゅはんにゃきょう」とか「かんじざいぼさつ」とか「ちゅうろん」とか「けろんはくうによってめっせられる」とかいきなりトップギアで走り出したかんじで、ちょっと慌てる。

別に世界平和とかグローバルとローカルとか今の世の宗教とか、そういうお話しを望んでいたわけではないし、今回の法話のタイトルは「般若心経・菩提心の解説・観音菩薩の許可灌頂」ということなので、それに沿っただけなのだろうし、仏教徒のみなさんにとっては痺れるほどありがたい機会なのだろうから文句はなくて、がんばってメモだけはとる。
それにしてもさー、会場、あんなに照明落として暗くしなくてもいいよね。メモを取る手元くらいは見えるようにしておいてほしかった。

わたしのいた学校はキリスト教のだった(でもわたしはサルトルの信者だった)ので、キリスト教の講義は割と多くて、仏教については世界観とか時空観とか神のありようをざーっと、キリスト教との対比でやった程度だったので、どっかに埋もれていた記憶の掘り起こしも含めて、なかなかへろへろになった。 こんなだったら予習しとくんだった。

般若心経における「空」の意味をナーガールジュナの『菩提心の解説』を通して説明して、それを通して煩悩とか自我とか、そういうのが実体レスで捉えようがないことを、なにを以てどう認識し見極めるのか − まあ、修行じゃ、ひたすら修行するのじゃ、ということなのだろうが、たとえば、インテリジェンスの獲得て、こういうことよね(最近AIとかビッグデータで言われるインテリジェンス、てぜんぜん違うよね)、とか思った(個人的な感想)。

でもたまにこういうの聞くと、ほんとうにがしがし勉強したくなる。学生だった頃のとは別のかたちの勉強欲がむらむら湧いて、それって食欲に近いものかもしれないけど、いちからちゃんと勉強したいな、て時間がなくなってから気づくの。

ええ、ええ、まちがいなく逃避なんでしょうけどね。

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