4.02.2015

[film] Aimer, boire et chanter (2014)

28日の土曜日、神保町で見ました。

アラン・レネの遺作、「愛して 飲んで 歌って」。
英語題はアラン・エイクボーンの原作戯曲のタイトル - “Life of Riley”。

舞台は英国のヨークシャーの田舎、というのだが見るからに嘘つけ、で、道路を走るところは実写だけどお家はぼんやりした絵だし、ドアはなくて布切れだし。殆ど屋外 - 家の外側 - で進行するし(屋内に入るのは2回くらい)、それよかみんなフランス語しゃべってるし。
という具合にまるごとフェイクな舞台セットがそのまま映画のうえに載ったかんじ。

コリン(Hippolyte Girardot)とカトリーヌ(Sabine Azéma)は永年連れ添った夫婦で、医者のコリンが友人で教師のジョルジュは病気で余命あと数ヶ月、て妻に言ったら、お喋りのカトリーヌはあら大変てそれを友人の夫婦ジャック(Michel Vuillermoz)とタマラ(Caroline Sihol)に言って、みんな大騒ぎになる。 カトリーヌはかつてジョルジュの恋人で、ジャックはジョルジュの幼馴染で、演劇をやっているカトリーヌとタマラはそれなら、とこれから上演する芝居の空いた役にジョルジュを引っ張りこむの。(そんなことして死んじゃったらどうする)

他にはジョルジュと別れていまは農夫(Sandrine Kiberlain)と暮らしているモニカ(André Dussollier)とかコリンとカトリーヌの年頃の娘とか。

お芝居そのものはうまくいったようで、ジョルジュと女たちの関係もとってもよくなって、芝居のあとで、休暇をスペインのテネリフェ島で過ごそうとカトリーヌは誘われてまあジョルジュったら(ぽっ)、になるのだが、彼が誘っていたのは彼女だけじゃなかったの。

最後まで姿を見せることのないジョルジュ、死を目前にしたジョルジュの前で、彼はもう死んじゃうんだから、と眠っていた女たちの恋が再燃して、その隣にいた男たちもやきもきじたばたする - お話しとしてはその程度なのだが、そこはいつものアラン・レネで、ひとつの死と複数の生という境界 - 過去の自分たちと今の自分たちの境目、夫婦の境目、などなどを演劇の仕掛けを使って浮きあがらせている。
そしてジョルジュがいちばん得してて、いいなあ死者は、て思っていたら最後の最後にあんなのが。

おなじ原作者 - アラン・エイクボーン - による『六つの心』"Cœurs" (2006)でわりと厳格に仕切られていたアパートの壁 - ひとの垣根を緩めにとっぱらって陽気にしたかんじ、というか。
生も死も割とどうでもいいというか、死者がいちばん楽で関係なしで、その反対側で生者がぐるぐるまわって踊る。
あるいは、「死」をテーマにしたのであれば、あのすばらしい『死に至る愛』"L'amour à Mort" (1984)に出てくる複数の死、臨死、それらを通してみた生、とか。

アラン・レネ映画の常連 - Sabine AzémaとSandrine Kiberlainの老人のような妖精のようなほんわかした風体を見るのもこれが最後なのかなあ、としんみりした。

あとは、なんといっても「もぐら」よ。  もぐら映画なのよこれ。
(つかれているな…)


R.i.P. Manoel de Oliveira . 最後のおじいちゃん監督。

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