12.21.2014

[film] Rok spokojnego slonca (1984)

13日の午後、ポーランド映画祭の二本目で見ました。
『太陽の年』。 英語題は“A Year of the Quiet Sun”。

二次大戦後、廃墟と化したポーランドの町、そこのぼろアパートに戻ってきた中年の女性エミリア(Maja Komorowska)と脚を病んだその母のふたり。 エミリアの夫は戦死しているらしい。

同じ頃、戦犯調査団の一員としてその地に入った米軍の兵士ノーマン(Scott Wilson)がいて、彼は誰も自分を待っていない故郷には帰りたくない、という。

原っぱでひとり絵を描いていたエミリアとそこに小便をしようとてくてく歩いてきたノーマン、そんなふうに偶然出会った二人、でも言葉は全く通じない。 なのにノーマンはまめに彼女と母の暮らすぼろいアパートに立ち寄るようになって、クッキーを売りに出る彼女についていったり、通訳を連れていって仲介してもらおうとしたりするのだが、どれも半端に気まずく終わってばかりのようで、でも互いに吸い寄せられるように惹かれていく。

言葉が通じない状態で恋愛は成立するのか? 成立する(らしい)。 生活に疲れて絶望していたから、愛に飢えていたから、理由はいろいろあるのかもしれないが、そんな理由では片付けられない変な地点にそれが現れることを映画は示す。 地中から発掘される黒こげの遺体の理不尽さと同じふうにそれは降りて浮かんできて、とりあえず、のようにその流れに身を置いてみる。
こうしてとにかくふたりは出会って、恋に落ちた。 激しく、燃えるようにではなく、静かに朽ちるように。

どちらも若くなく、疲弊してて、恋の主人公にはなれそうにないふたりなのに、その渦に巻きこまれてなすすべもなくなっていくふたりの戸惑いも含めた彷徨いと歓びがしんみり伝わってきてとってももよいの。 どこかしら成瀬巳喜男の映画みたいな。

暴漢に押し入られて荒らされたり、隣部屋の娼婦は騙されたり、もうこの土地にはいられないとエミリアは出国を決意するのだが、出て行くにはブローカーにお金を払わないといけなくて、でもお金はなくて、自分を犠牲とするかたちで最愛の母は亡くなってしまい、最後の最後に彼女は諦める。 向こう側で彼が待っていることを知っているのにその地に留まることにしてしまうの。

どこかで聞いた戦争が絡んだ悲恋モノ、のようでありながら、時代や状況がそれを許さなかったごめんなさい、ふうには描いていない。 出会ったところから既にふたりの恋は失われていて、成り立ちようのない危ういものであることを知っていて、その脆弱な状態のままそこに留まって潮の干満に身を置いたかのような。 ふたりが出会った年、それは月というより静かな太陽の年だったのだ、と。

... Love will Tear Us Apart (again)

そしてラスト、あんな場所に飛んでいったのにはびっくりした。 恋の立ち現れや消滅はどうすることもできないのかもしれないが、その情の強さは例えばこんなことをやってのけたりするんだねえ。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。