12.30.2014

[film] Przypadek (1981)

20日の夕方、「現代娼婦考 制服の下のうずき」のあと、ポーランド映画祭に移動して見ました。
クシシュトフ・キェシロフスキによる「偶然」。英語題は“Blind Chance”。
やっぱり立ち見になってた。 ニッポンのひと、キェシロフスキ好きね。

81年に製作されたものの、当局の検閲にあって正式公開されたのは87年で、上映された版の途中にも「この箇所は検閲にやられて永遠に失われてしまいました」とかいう注記が出てきたりする。

主人公のヴィテク(Boguslaw Linda)が、ワルシャワに向かう列車に走って飛び乗ろうとして、①乗りこむことができた ②無理するなと駅員に制止されてつかまった ③諦めた の結果によって分岐する3通りの運命とか人間関係とか。
①では共産党員となって前途洋洋だったが、密告者として利用されて恋人を失ってあーあ、になって、②では地下出版の道に入ってキリスト教に入信するも手入れにあって周囲に疑われて居場所を失い、③では政治とは無縁の医学の道に進んで、これはうまくいきそうなかんじで飛行機で国外に飛び立つのだが、まさかこんなことになっちゃったりしてな… と思った通りのことが起こっちゃうのでびっくらして気まずい沈黙が。

3つの分岐の前、父の希望に沿って医者になることを目指してきたヴィテクは死期が近づいた父から好きにしていい、と言われて方向を見失っていて、分岐後、父のような存在による指導方向付けがなされて、後ろ盾となる組織ができて、親密で素敵な彼女もできて、でもそれらは彼の最初の選択、さらに遡ると出生みたいな地点から左右されていて、その後の行動も個人と組織/政治の間の相互干渉のなかで形作られていて、そういうのの総体として語られる「運命」のありよう、その不可思議さ微妙さが示される。

でもさー、あのときああしていればああなったかも、ていうのは後からいくらでも言うことができるし、その角度から眺めたその時の決断や選択が特殊な光を放つのはわかるけど、個人と状況が相互に影響しあうのはあたりまえのことだし、自分で決めて進む、ていうのも、運命に翻弄される、ていうのも、同じようなことの「言いよう」でしかないのだから、「運命」とか「ドラマ」における因果をそこまで強調するのってどうなのかしら、ておもった。 そういうことを思うのはポーランドの当時の「状況」の過酷さや圧力を知らないからだ、と言われればごめんなさい、なのだが。

そういうところもあってか、この作品でもっとも輝いてみえるのは、③に出てきた世界最強のお手玉使いのふたりなの。 彼らの生はいまここでどう動くべきか、のなかにしか、その瞬間にしかない。占いも総括も必要ない速度で生きること。 でもあれ、ほんとにびっくりした。すごい。

キェシロフスキ作品としては後の「トリコロール」のドライブの強さも「ふたりのベロニカ」- これがいちばんすき - の魔法もない、のだけど、彼の映画のもつ心地よい冷たさみたいのがストレートに伝わってきて、よかった。

とにかく駆け込み乗車には注意しないといけないの。

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