12.29.2014

[film] 現代娼婦考 制服の下のうずき (1974)

もう終ってしまったシネマヴェーラの曽根中生追悼特集より、日にちは別で見た2本を。

現代娼婦考 制服の下のうずき (1974)
21日の日曜日の昼間に見ました。

田端のほうのアパートで一緒に暮らすいとこのふたり - 真理(潤ますみ)と洋子(安田のぞみ) - 共に大学生 - がいて、真理のほうは「複雑」な育ちの娘で、母親は娼婦で孤児院から祖父のところに引き取られて、小さい頃に人を殺したこともあるという。  実家での序列 - 主従関係でいうと洋子のほうが上で、婚約者はいるわ車は持っているわ取り巻きもいるわで、反対に真理は常に蔑まれて疎まれて束縛されて、そういうなかで娼婦みたいなことをしたりされたり、真理の居場所はどこに? ていうのと、洋子のいる「場所」とはなにがどう違うんだ? ていうのと。 んで、洋子が真理を明日から自由に暮らしていいよ、て伝えた途端、真理は洋子を殺してしまうの。

こういうのを、ニッポンの血族における縛り抑圧、地方と都会、これらの境目で荒れ狂う魂や情念のドラマ(原作は荒木一郎、挿入歌は寺山修司作詞の『裏町巡礼歌』)としてべったり重厚に描くのではなく、ぽつんと建っているアパート、工場跡の廃墟、壊れたマネキン、クスリ、行きがかり手当たり次第のセックス、等々を散りばめた、二人の女子の対照図としてドライにデザインしてみせる。

ほぼ無表情 - 怒りの噴出も修羅場も居直りもない、なんの声も出せない(喘ぎ声に快楽や歓喜はない)、聞こえない状態 - 聞こえてくるのは廃墟に響くヘリの音、マネキンを引っ叩く音、飛び出しナイフの音 - ラストの殺しの音ですら洗車場の音にかき消されてしまう。
(俳優の演技力に期待できなかったのでそうせざるを得なかった、と監督の自伝本にはあったが)

で、そうして静かに進行してなにかを侵していく青春期の危うさと、性そのものが孕む主従や自由/束縛の不可視なバランスを見事にクロスさせた傑作だと思いましたわ。


性盗ねずみ小僧 (1972)
23日の昼間にシネマヴェーラで見ました。 併映の「性談 牡丹燈籠」は前に見たことがあったのでパス。

ポルノ時代劇で、脚本は長谷川和彦、セットは他作品のを転用しているので時代劇としてもちゃんとしているし、サイレントや臨時ニュースの挿入とかおもしろいところもある。「性盗」は「怪盗」にも「正統」にもひっかけてあるの。

次郎吉がおみつとやっていると御用御用の提灯が入ってきて、彼はしょっぴかれて牢獄に入れられて、そこからの回想になるの。 呉服屋の丁稚の次郎吉はからかわれて嘲笑われてばかりで、頭きておかみと娘を犯してそこを飛びだし刺青を彫って、そこからはお金持ちのおうちに押し入って寝ている女(達)を犯して黙っていてほしければ金よこせ、て脅してその金を弱者に与えるので義賊て言われる。

刺青屋で知り合ったのが金四郎で、彼は後の遠山の金さんになるのだが、こいつが実は権力の犬で、凋落していた幕府の評判を上げるために次郎吉をしょっぴいてやろう、とおみつを彼に近づけるのだが、おみつは実は次郎吉の生き別れになった妹だった、と。

虐待にレイプに強盗、肩書詐称などなど、悪行まみれなのにストーリーに暗さはなくて軽いかんじ、その展開よりもいろんなカットや仕掛けのほうがおもしろくて、自伝本のインタビューのこの映画を語る箇所で、カンディンスキー著作集の西田秀穂教授に学んだ、とあるのを読んでふうん、だった。 

もういっこ、同じく自伝本でパロディについて、安倍晋三のそっくりさんでポルノを作ればいい、て語っているところがあって、そうだよねえ、と思った。 「この道しかない!」とか「とりもろす!」とか「女性活用!」とか言って女性議員とやりまくるのに嫉妬したNHK会長が盗撮したビデオを国営放送で流しちゃうようなやつ。 ネタの宝庫なのにな。 “The Interview”は無理にしてもこれくらいのも作れないくらいみんな萎えちゃっているのかしら。

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