12.10.2014

[film] The Double (2013)

7日の日曜日の昼間、渋谷で見ました。「嗤う分身」

これも終わっちゃいそうだったし、だが、なにがなんでも見たい、というのでもなく、Richard Ayoadeで、Jesse Eisenbergで、Mia Wasikowskaだから、程度の。

原作はドストエフスキーの「二重人格」もしくは「分身」。  邦題についている「嗤う- 」がどこのなにを示そうとしているのかは不明。
分身が現れるはずのないようなところに現れる、という不条理劇として描くか、そいつが現れるべくして現れるその背景心境も含めて丁寧に描くかで結構変わってくると思って、ドストエフスキーの原作はどちらかというと後者で、でもこの映画はあれこれ端折って前者みたいなかんじになってしまっているような。 安易にカフカ、と言うべきではないのだろうが。

「大佐」がすべてを支配している官僚機構のなかで、通勤も仕事もなにもかも縛られて囲われてぜんぜんぱっとしない主人公の脇をすり抜けるように突然現れたそいつは、みんなの人気もさらうし、女の子も持っていっちゃうし、自分のやるはずだった仕事の手柄も持っていっちゃうし、とにかく自分と同じように見えるそいつはいつもへらへら笑っていて楽しそうで気にくわないったら。

という物語がドイツ表現主義ふう、「メトロポリス」ふう、「オーウェル」ふう、の陰影の濃い、どんづまった空気感、BGMで流れてくる音楽(なぜか昭和歌謡)は「上を向いて歩こう」とかいうけど日本語だから意味わからず - などなどと共に描かれていてわかりやすい。 「これはあなたのお話し、かもしれない」的な教育的誘導もたっぷり。

こんなふうに破綻して壊れていく若者のお話が破綻なくきっちり描かれていて、うまいねえ、と思う一方で、絶望とか恐怖とか、そういうのの底の底までを掬いきれていないかも、というあたりがなんか。 最後に主人公が「これで本当の自分に戻れる」みたいにつぶやくとことか、原作は置いておくにしても、基本はやさしいんだねえ。

ただ、Jesse Eisenbergの演技のすばらしさは誰もが認めなければなるまい。 "The Social Network"で業界のてっぺんに立つことになるITやくざの顔と、その裏でRooney Maraに未練たらたらの萎れ顔と、その切り返しの鮮やかさと変わり身(とは違うけどね)の速さはこのひとならでは、だと思った。

Mia Wasikowskaさんの使い方は、ちょっともったいなかったかも。 "Stoker"にあった、ばっさり殺っちゃう刃物の凄味が見られると思ったのに。

でも分身事件よか、いちばん謎で気になったのは、あんなところでJ. Mascisさんはなにをしていたのか、ということだ。 (しかも、2回くらい出てくる)

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